寄稿

  言葉が失墜、「物語《なき憲法論

   哲学者・國分功一郎 


    2018年3月2日05時00分 朝日新聞 


 この数年、時代の要請もあって憲法学者の本をしばしば繙(ひもと)くようになった。私の専門は哲学だから門外漢として読むわけだが、一つ気がついたことがあった。

 憲法というのは高度に専門的・技術的であって、素人が容易に口出しできるものではない。ところが、戦後日本の憲法学を牽引(けんいん)してきた学者たちの言葉は少し違っていた。彼らの言葉はどこか文学的だった。

 私の愛読する樋口陽一氏の文章は、口調こそ硬いけれども、門外漢を排さぬ上思議な柔軟さを備えている。奥平康弘氏は軽妙な語り口のエッセイストとしても有吊だった。思えば、最近活躍する若手憲法学者、木村草太氏の本にはエンターテインメント小説的な要素が強い。憲法学者の言葉が広く読まれてきたことは戦後日本の特徴かもしれない。

 どうして憲法が文学と関係を結ぶのだろうか。それはおそらく、憲法が専門的・技術的でありながらも、それを支えるために何らかの物語を必要とするからだ。

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 戦後日本の憲法が訴えてきた価値の代表が平和主義と個人主義である。だが、9条を読んだだけでは平和主義の意味など分からない。13条には「すべて国民は、個人として尊重される《とあるが、ただ「個人《と言われてもピンとこない。

 かつては身分制があり、軍事と密着した社会があり、更には家制度があった。そうしたくびきからの解放があって初めて個人は存在する。個人はあらかじめ存在せず、解放によって生まれる。そして性差別の現存などから明らかなように、その解放はまだ十分ではない――。

 このような物語があって初めて人は「個人主義《の価値を理解できる。そして価値を共有しようとする人々の志によって憲法が生きる。憲法学者たちはこのことに意識的であった。それが彼らに緊張感をもたらし、その筆致は文学的なものにまで高まった。

 平和主義について言えば、価値を支えていたのはむしろ「あんな戦争はもうイヤだ《という感覚であったと思われる。感覚は大切であるが、それだけでは理解は生まれない。だからこそ憲法学者たちは専門的・技術的な論議だけに甘んじなかった。おそらく戦後の日本では、この感覚に匹敵する強度をもった平和主義の物語を紡ぎ出さんとする文学的な試みに、憲法学者たちが身を投じてきたのだ。そして、それはある程度成功していた。

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 いま憲法論議が盛んと言われる。だがそうだろうか。私には論議が盛んなのではなくて、単にこれまで憲法を支えてきた物語が理解されなくなっただけに思える。というよりも、文学的な言葉によって紡ぎ出される物語そのものを人々が受容できなくなった。

 いまよく耳にする「世界には危険な連中がいるから軍備が必要《というタイプの「改憲論《は、価値を共有するための物語ではない。ただ感覚に訴えているだけである。いまはそれが有効に作用する。しかも、それに反対するかつての感覚はもう失われている。

 それ故であろう。「護憲論《の側ももはや物語を紡ぎ出すことに力を注ぐわけにはいかず、「9条があったから戦争に巻き込まれなかった《という安全を訴える主張を繰り返さざるをえなくなっている。「護憲論《も感覚に訴えているのだ。私はこの主張の内容は正しいと思う。だがそれは憲法の価値を共有するための物語にはなりえない。それどころか、場合によっては、自分たちだけが助かろうとしているという風にすら聞こえてしまう。

 現代の日本において、文学的に紡ぎ出される物語はもはや有効に作用しなくなっている。だから平和主義も個人主義も理解されない。これは端的に「言葉の失墜《と呼ぶべき事態であろう。言葉が失墜した時代に、日本国憲法が掲げてきた高度な価値をどうやったら共有できるのだろうか。またそれを踏みにじろうとする勢力が現れた時、どう対応すればよいのだろうか。

 いまの時点でできることを精一杯やるしかない。だが、「いまの時点でできること《に甘んじてはならない。そうでなければ、早晩、憲法は死んでしまうのである。

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 こくぶん・こういちろう 1974年生まれ。高崎経済大学准教授。著書に『中動態の世界 意志と責任の考古学』『民主主義を直感するために』など。