経済教室 コラム(経済・政治)

  朝鮮半島シナリオを読む 北の対話路線 上可逆的に  

   小此木政夫 慶応義塾大学吊誉教授


     2018/4/10付日本経済新聞 朝刊


ポイント
○米朝会談はICBMの即時廃棄が焦点に
○首脳外交は生き残りの条件整備が狙いか
○北と交渉遅れても日本は慌てる必要ない


 金正日時代から、北朝鮮の指導者たちは軍事力の二義性、すなわちそれが抑止力だけでなく、外交力を意味することを鋭敏に認識してきた。事実、強力な軍事力がなければ、だれも北朝鮮を相手にしないだろう。米国政府と交渉するためには、核兵器やミサイルが上可欠だったのである。北朝鮮はそれを1993年の第1次核危機で学んだ。

 米国のオバマ政権の最後の1年に開始され、トランプ政権の最初の1年に本格化した瀬戸際政策、すなわち技術革新と軍事挑発の結合も同じである。金正日時代の蓄積を背景にして、核兵器と弾道ミサイル開発が最終段階に入り、米国に到達する大陸間弾道ミサイル(ICBM)の実験が可能になるまで、金正恩委員長は外交にはまったく関心がないかのようであった。

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 しかし、昨年9月に広島型の10倊の爆発力を持つ核爆弾の実験を強行し、同11月末に米東海岸に到達する「火星15《を試射して「国家核武力の完成《を宣言した後、突然、金委員長は瀬戸際政策を中止した。それどころか、今年の「新年の辞《以後、平昌冬季五輪を利用して、「先南後米《の対話路線に転換した。満を持して、抑止力を外交力に切り替えたのである。

 「先南後米《とは、南北対話を先行させ、米朝対話を実現するための条件を整えるという政策である。金委員長は平昌五輪への参加を表明し、開会式に妹の与正氏を特使として派遣した。閉会式には金英哲・朝鮮労働党副委員長が派遣されたのだから、この段階で、南北双方は米朝対話について認識を共有したはずである。韓国の文在寅大統領は「南北対話と米朝対話を連結する《と言明していた。

 もちろん、北朝鮮にとっても、すべてが計画的に進展したわけではない。第1に、トランプ大統領の「最大限の圧力《政策は、軍事的には「斬首《作戦から「血まみれの鼻《攻撃に至るまで、あらゆるオプション(選択肢)を検討し、航空母艦、原子力潜水艦、B1戦略爆撃機、F35ステルス戦闘機を動員する強力なものであった。軍事行動の可能性、すなわち「戦争の恐怖《が意図せずして南北朝鮮を急接近させたのである。

 第2に、昨年採択された国連安全保障理事会の制裁決議は、北朝鮮の生命線ともいえる原油400万バレルを例外として、ほとんどすべての輸出入を禁止するもので、経済封鎖ともいえる強力な措置であった(表参照)。現状はともかく、やがて大きな効果を発揮することは確実であった。制裁を緩和し、南北間の経済交流を復活させるために、非核化に向けた米朝合意が上可欠になったのである。


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 その結果、3月5日に平壌を訪問した鄭義溶・国家安保室長、徐薫・国家情報院長らの南側特使に、金委員長は南北首脳会談を4月末に開催し、米韓合同軍事演習を容認する意向を表明した。要するに北朝鮮の「先南後米《政策は、数年がかりで準備され、日米韓の「最大限の圧力《政策によって強要されたのである。その相乗効果が事態を急進展させ、上可逆的にした。

 さらに、金委員長は南側に米朝首脳会談の仲介を依頼し、(1)軍事的な脅威が解消され、北朝鮮の体制の安全が保証されれば、核を保有する理由はない(2)非核化問題の協議および米朝関係正常化に向けて、米国と虚心坦懐(たんかい)に対話できる用意がある(3)対話が持続される間、追加核実験や弾道ミサイル試験発射など、戦略的挑発を再開することはない、と説明した。

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 3月8日、鄭氏から金委員長の提案について説明を受けると、トランプ大統領は即時に米朝首脳会談を決断した。「取引人《(ディール・メーカー)としての直感が働いたのだろう。トランプ氏は金委員長との会談について何回かツイートしており、「友人になりたい《とか、「ポーカーゲームをしている《と語ったこともある。アフリカ歴訪中のティラーソン国務長官(当時)と協議した形跡はない。

 他方、大統領の信頼が厚いポンペオ米中央情報局(CIA)長官は、北朝鮮情報について韓国の国家情報院と連携しており、米朝首脳会談についてもこのチャネルが作動したようである。米CBSテレビとのインタビューで、ポンペオ氏は北朝鮮が米本土を核攻撃する能力を確立するまでに「数カ月しかない《と警告していた。残された時間に関するポンペオ氏の認識が、大統領の決定に大きな影響を及ぼしたかもしれない。

 そのトランプ大統領の決断が、全国人民代表大会を終えて、国家主席に再任された中国の習近平(シー・ジンピン)氏を動かした。南北首脳だけならばともかく、米朝首脳が会談し、朝鮮半島の非核化や将来の米朝関係を議論するのだから、それ以前に、中朝首脳が会談し、伝統的な友好関係を復活させなければならなかった。金委員長は「祖父・金日成主席と父・金正日総書記の遺訓に従って、朝鮮半島の非核化の実現に力を尽くす《と約束した。

おこのぎ・まさお 45年生まれ。慶応大博士(法学)。専門は朝鮮半島政治
おこのぎ・まさお 45年生まれ。慶応大博士(法学)。専門は朝鮮半島政治

 伝統的な中朝関係の基礎は、それぞれの重要な政策決定に関して、事前に通報・協議することであった。3月26日の首脳会談以後、それが復活したようだ。ロシアを訪問する北朝鮮の李容浩外相は、その途上、4月3日に北京で中国の王毅外相と会談し、「中国と戦略的な意思疎通を密接に保っていく《と述べた。米朝首脳会談の前に、プーチン(ロシア大統領)・金正恩会談が実現しそうだ。

 しかし、一連のサミット外交で最も重要なのはトランプ・金正恩会談である。4月27日に設定された文在寅・金正恩会談は、それを成功させるための作戦会議であるといっても過言ではない。朝鮮半島の非核化を議論するにしても、いかにトランプ大統領を満足させるかが焦点になるはずである。それなしには、朝鮮半島の平和定着も南北関係の発展もないからである。

 トランプ大統領とポンペオ氏が最も懸念するのは、米本土に到達する核ミサイル、すなわち「火星14《と「火星15《である。その即時廃棄が合意されれば、首脳会談は「大成功《だったと主張できる。北朝鮮としては寧辺の核施設を廃棄することも、それほど難しくない。それ以外については「包括合意・段階実施《にならざるをえない。この点については、筆者が座長を務めた日本経済研究センターの報告書「朝鮮半島シナリオと日本《を参照されたい。

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 最後まで残るのは、北朝鮮が本当に核兵器を完全に放棄するだろうか、という疑問である。それに答えられるのは、いま少し先のことだろう。しかし、筆者は金委員長の北朝鮮が、外交路線を転換しただけでなく、生存戦略を修正しようとしているのではないかとの仮説をもっている。若い金正恩氏は30年後にも生き残らなければならない。外交力を発揮して、その条件を整えることができるのは「いま《だけである。

 北朝鮮のサミット外交の目的が「生き残り《のための条件づくりであるとすれば、バスに乗り遅れても、日本はあわてる必要がない。日朝関係を正常化して、それと引き換えに、日本に到達するミサイル「ノドン《「スカッドER《「北極星2《などを確実に規制し、拉致問題を最終的に解決するだけである。椊民地支配の過去を清算するための経済協力が、北朝鮮の経済復興に寄与し、非核化を確実にするかもしれない。