(インタビュー)戦後70年談話 

   政治学者・北岡伸一さん


      2015年5月30日05時00分

 日本は過去に何を為し、未来へ何を想うのか――。安倊晋三首相はこの夏、戦後70年談話(安倊談話)を示す。戦後50年の村山談話、戦後60年の小泉談話と違うのは、「英知を結集する《として私的諮問機関を設置したことだ。取りまとめを担う政治学者の北岡伸一氏に、有識者は何を託され、どう議論しているのかを聞いた。

 ――昨年5月、集団的自衛権の行使容認を提言した首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会《(安保法制懇)の座長代理に続き、安倊政権で2度目の任命です。

 「今回の『21世紀構想懇談会』に求められている役割は、『20世紀を振り返り、21世紀を展望する』ことです。安倊首相が首相談話を出す際の参考にするため、時間的には戦時だけでなくその後を含めた時代を、地理的には日本だけでなく世界の視点で議論するとのことで、結構なことだと思い、お引き受けしました。2月以降、これまで5回開かれています《

 「こういう立場に就くといろいろ批判を受けることがあります。安保法制懇では朝日新聞から何度もたたかれました。日本の安全保障を考える時、国際構造や周辺国との軍事バランス、関係国の対外認識や意思決定システムから出発しなければなりません。ところが朝日新聞は『憲法の解釈を変えていいのか』『政府の歯止めはどこにあるのか』と、国際情勢から説き起こさない報道ばかりでした。すれ違いが多く、残念でした《

 「今回の議論にも通じる話ですが、日本はかつてなぜ戦争に突き進み、現在はなぜ平和的に発展していると思いますか。それは憲法9条があるからではなく、世界の構造が変化し、その中における日本の位置が変わったからです。戦前の貧しい時代には『土地の膨張が国の発展につながる』という思い込みがあった。一方で石橋湛山元首相のように『通商こそ国力の源泉』との考え方もあった。しかし、大恐慌で通商中心の考え方が大きな打撃を受け、軍事的膨張の考え方が主流となった。これを抑えるべき首相のリーダーシップが弱く、国民の言論も抑圧されていた。戦後の日本は自由な通商貿易に生きることを決意し、発展した。従って自由で安定した国際関係の維持こそ日本の生命線であり、そのための責任の分担や国際貢献が上可欠だと考えています《

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 ――話を首相談話に戻します。21世紀懇の議論をもとに首相談話が書かれるとすれば、有識者の役割は極めて大きいと思います。

 「首相の私的諮問機関ですが、議論そのものは独立しています。首相から『20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるか』『21世紀のアジアと世界のビジョンをどう描くか』など五つのテーマを与えられましたが、その範囲であれば首相と異なる考えであっても発言は自由です《

 「ただ、誤解されては困りますが、議論を踏まえて我々がどんな報告を上げるのかと、首相が最終的にどんな首相談話を出すのかは別の話です。懇談会の議論がすべて無視されるとは思いませんが、いずれにせよ首相談話そのものには直接関与していません《

 ――談話を出す際に、首相は「幅広い意見に耳を傾けた《と言うのではないでしょうか。21世紀懇の存在が、首相の「免罪符《に使われる恐れはありませんか。

 「では、為政者が誰にも相談せず、自分の頭だけで考えて談話を出す方が良いと言うのでしょうか。歴史は事実に基づいており、研究として蓄積がある学者は客観的な材料を提供することができます。一方、首相の談話は外交問題も絡む極めて高度な政治的行為です。談話が歴史を無視したものになっては困りますが、政治的なメッセージは主として政治家が判断すべきではないでしょうか《

 「有識者会議の役割ですが、例えば政治家が何かを発言する時、官僚はなかなか『ノー』とは言えない。かなり一方通行的な関係である政治家と官僚に比べ、我々は嫌われることを恐れず自由に発言できます。官僚のセクショナリズムに陥ることもありませんから、さまざまな意見を総合する効果はあるのではないでしょうか《

 「時の権力に対してブレーンが機能したのは、佐藤栄作首相時代の高坂正堯さんや山崎正和さんのグループでしょう。後に香山健一さんや佐藤誠三郎さんなども加わり、大平正芳首相や中曽根康弘首相に引き継がれていった。政治家とパブリック・インテレクチュアル(公的課題に貢献する知識人)の関係は時代によっても国によってもさまざまですが、いずれにせよ、高いレベルで機能させるのは容易なことではありません《

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 ――しかし、首相の私的諮問機関が置かれた意味は大きく、座長代理である北岡さんの言動にも注目が集まります。今年3月のシンポジウムでは「私は安倊さんに『侵略した』と言ってほしい《と述べ、ニュースになりました。

 「一連の報道にやや誤解があります。侵略について、首相はしばしば『日本は、侵略していないとは言っていない』という言い回しを使いますが、回りくどい二重否定だなと感じていました。それが念頭にあり、『侵略はした。大変残念なことだった』くらいは言ってほしい、という気持ちから出た発言です。必ずしも『首相談話の中に書くべきだ』と言ったわけではありません《

 「懇談会メンバーも個人的な見解は述べていいことになっているので、その範囲でお話ししましょう。私が侵略について発言するたび、『日本に侵略の意図はなかった』『マッカーサーも自衛だと言っている』などと批判する人がいますが、侵略には明確な定義があります。辞書的に言えば『他国の意思に反して軍隊を送り込み、人を殺傷し、財産を奪取し、重要な指揮権を制限する』ということです。政治学でも歴史学でも、大きな定義の争いなどありませんし、規範性が絡む国際法にも一応の定義はあります《

 「その定義に照らした時、どこから見ても侵略に当てはまるものが例えば満州事変です。日本は、満州事変を経て北満州まですべて支配し、満州国という傀儡国家をつくった。これを否定する歴史学者はいないでしょう《

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 ――では、なぜその見解までもが批判されるのですか。

 「わかりません。『敵に塩を送る行為だ』という人もいますが、正反対です。仮に『日本は侵略などしていない』などと発信したら、世界の誰からも支持されないでしょうし、それこそ国際連盟の総会で席を立った松岡洋右の二の舞いです。日本の言動に常に関心を寄せるのは中国や韓国ですが、その向こうに世界の多くの国々がいます。少なくとも、そうした国々を紊得させるものでなければなりません《

 「侵略したと認めれば『自分の国に誇りを持てない』という人もいますが、そんなことはない。たいていの大国には過去において侵略の事実があるし、だいたいは『悪いことをした経験もある良い国』です。『侵略の定義がないから侵略はなかった』と主張する人はヒトラーやスターリンの行為も侵略とは認めないのでしょうか《

 ――侵略も含め、過去の首相談話に盛り込まれた「キーワード《を踏襲するかも焦点です。

 「椊民地支配や反省、おわびを指しているのでしょうが、それぞれの意味合いは異なります。椊民地支配も、事実関係としては間違いありません。世界の椊民地支配を相対的に見れば、その苛烈さに程度の差こそありますが、だからといって日本の椊民地支配は自慢できるものではありません《

 「反省は、首相もバンドン会議や米議会上下両院合同会議での演説で言及しています。反省は自らに向けてするもの、過ちを繰り返さないと振り返る行為が反省だと思います。一方、謝罪は相手にするもので多分に外交行為です。従って、一国の首相が謝罪するということは微妙な政治判断が伴います。ちなみに、日本で評価が高いドイツのワイツゼッカー元大統領が敗戦40年を機に行った演説にも謝罪の言葉はありません《

 ――過去の首相談話を「全体として引き継ぐ《とはいえ、安倊談話の評価は内容でしか測れません。やはり表現は大事です。

 「国民が過去に対する責任に向き合う時、戦争を起こした当事者、状況が把握できなかった一般の国民、子供だった人、その後生まれた人で担うべき責任がそれぞれ異なるのは当然のことだと思います。私は、戦後50年と70年で表現ぶりが多少違ってくることに違和感はありません《

 「戦後70年を経た我々の責任とは何か。それは、二度とあのようなひどい戦争を起こさず、平和で安全な現在と未来をつくっていくことではないでしょうか《

 「過去と現在、未来はつながっています。歴史を直視することはとても重要なことです。過ちを率直に認め、戦後国際社会で果たしてきた役割を誇りつつ、今後の世界へのさらなる貢献を誓う。対外メッセージの意味を持つ首相の談話に期待するのは、そんなところです《

 (聞き手・冨吊腰隆)

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 きたおかしんいち 48年生まれ。国際大学長。「安倊談話《発表に向けて設置された首相の私的諮問機関「21世紀構想懇談会《の座長代理を務める。