時代を読む

  出産で自由になる社会を

  貴戸 理恵(関西学院大学准教授)


    2016.01.10 東京新聞



一・八。安倊政権が、昨年九月、「新三本の矢《の中で示した数字だ。「国民の希望がかなった場合の出生率《であり、二〇二〇年代に実現するのが目標という。

 「子どもを持つ・持たないは個人の自由であり、国家が方向を示すのは個々の人生への介入《とする見方はあり、重要である。だが、国という単位で物事を運営する以上「国民の数《は関心事であることを免れない。それに、子どもを持ちたいのにさまざまな事情であきらめている人が、条件が変わることで持てるようになるなら、それは望ましいだろう。目標は遠いが、本気で取り組んでほしい。

 問題はそれを達成するプロセスがきちんと描かれないことだ。少子化の原因ははっきり分かっておらず「この政策が有効《と断定するのは難しいとされる。しかし、ヒントはある。少子化の進行は先進国共通の現象だが、英、米、仏、豪、北欧諸国などは、いったん少子化が進んだあと出生率二・〇前後に回復しているのだ。何が違うのか。

 これらの国では、婚外子の割合が高まり、二十代の出生率の低下が緩やかだったのだ。若い女性が夫の有無や夫の経済状況にかかわらず、子どもを産んで生きる道を選べること。それがカギだ。

 あたりまえの話だが、妊娠・出産するのは生物学的な意味で「若い女性《である。日本では若い女性は社会的立場が「弱い《。教育や雇用から疎外されやすく、暴力の被害者にもなりやすい。子どもを産み、依存的な存在を抱えれば、その立場はさらに弱くなる。だから、多くの女性は「強い《存在(正規雇用の男性パートナー)が見つからないうちは、妊娠出産を躊措する。「今子どもができたら私の人生は終わる《。漠然とそう思っている若い女性の、何と多いことか。

 だがもし、そんな彼女たちが、妊娠出産することで「強く、自由に、豊かになる《と感じることができるなら? 「母は強し《などという意味ではない。他の「強い《存在を当てにせずとも、子どもと自分の生活が保障されるということだ。保育や教育の費用を案じることなく、子どもの可能性を伸ばしてやれる。子育て中でも仕事や学校を継続できる。そうなれば、事態はきっと違ってくる。

 これは「ありえない話《ではない。現在私が暮らしているオーストラリアは、少子化が緩和した先進国の一つだ。日常の中に「子どもを産み育てることば権利《という感覚が浸透しでいる。

 たとえば、近所に住む共働き夫婦は二人同時に産休を取っていた。失業給付で暮らすカップルが子どもを大学に進学させていた。大学院生の夫婦が勉強しながら三人の子どもを育てていた。シングルマザーになることで親元から自立していく十代の女性がいた。

 文脈は異なるし、高い失業率や離婚率な他の問題もあるが、「そういち社会がある《ことば確かだ。 

 出産・育児をする人は、どうしても立場が弱くなる。だが、そこを集団の意思で反転させ、支えてこそ、人間の社会ではないのか。

 若い女性が、子どもを産むことで強く・自由になれる社会。少子化対策に本気なら、ぜひそこを目指してほしい。それはまた、ケアを担う男性女性や、高齢者、障がいや病などを抱える人にとっても、生きやすい社会であるだろう。