文藝春秋2013年3月特別号
憲法改正 国民に対する責任
楼井よしこ 伊藤 真



 昨年四月、自民党は、日本国憲法の「改正草案《を発表。かねてから改憲が持論の安倊氏率いる自民党は衆院選において、過半数を大きく超える議席数を獲得、改正にむけ第一歩を踏み出した。七月に行なわれる参院選で三分の二の議席を獲得できなくとも、日本維新の会やみんなの党などと方向性はおおむね一致しており、今後、改正に向けた動きは加速するのではないかと見られている。安倊政権の方針に賛同するジャーナリストの桜井よしこ氏、そして「憲法の伝道師《を自認する伊藤塾塾長の伊藤真氏がその是非について意見を戦わせた。

---安倊政権の憲法改正構想には段階があると思いますが、まずここでは最終的な目標であろう自由民主党の改憲草案を元に議論しましょう。まず憲法論議の最大の争点であり続けてきた九条の改正についてお二人のご見解を賜りたい。

 伊藤 自民党の憲法草案のなかで、この新九条が一番大きな問題を孕んでいると考えています。現行憲法の九条の第二項には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない《と、戦争の放棄をうたっています。私はこの部分こそ、現行憲法の本質部分だと思っているのですが、自民党案では削除され、新たに九条の二で「国防軍を保持する《(以下、自民党の日本国憲法改正草案は太字)と明記されています。まず国防軍の創設自体、私は反対です。
 また、軍隊をどうコントロールするかという観点からも、非常に問題がある。新九条の二の第二項では「国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に朊する《とあります。
 なぜ、これが問題かと言えば、まず「法律の定めるところにより《とは、政権与党の意向が大きく働く可能性があり、憲法による統制にはなっていません。また、「国会の承認その他の統制に朊する《という書き方になると、「国会の承認《は必ずしも必要ではないという解釈も可能になる。つまりシビリアンコントロール文民統制)が骨抜きになってしまう危険性があるのです。
 国防軍の国際的な活動を記している新九条の二の第三項でも、「法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動(中略)を行うことができる《とあり、これも二項と同様に「法律の定めるところにより《とありますから、たとえば国連の決議などの歯止めがないまま、政権与党の意のままに海外派兵することができてしまうのです。

   九条は前文と切り離せない

---まず国防軍創設自体に反対だが、仮に国防軍を認めたとしても、自民党の草案ではシビリアンコントロールの歯止めが非常に弱くなっていて一層弊害が大きいということでした。桜井さんは異なる見方をされていますね。

 桜井 伊藤さんは法律家で、法律家としての厳密な言葉の解釈が先に来ましたが、それはどう見ても、木を見て森を見ない意見だと思います。自民党草案の前文にはこうあります。
 「我が国は、(中略)今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する《
 新九条、とりわけ国防軍の創設は、この前文と切っても切り離せません。前文に防衛も含めた国の指針がはっきりと記された上で、具体的な国防について書かれたのが九条です。その構図は、現行憲法の前文と九条がピッタリ重なっているのと同じです。そのように読めば、自民党草案が「右傾化している《という批判が的外れなのは明らかです。
 先ほど、伊藤さんは、国防軍の活動は国会の承認を得る必要があると話されました。しかし実際の安全保障の現場では、緊急事態はいくらでも起こります。国防問題は、常に最悪の事態を想定して論じないといけません。それが政府の国民に対する責任です。その観点から申し上げると、安倊首相をはじめ自民党が提案している草案の方向性は正しいと私は考えています。

---そもそも伊藤さんは、どのような理由から現行の九条の改定に反対なのですか。

 伊藤 私は中学生の頃、二年ばかりドイツで暮らしたことがあります。外国人に囲まれる中で、日本人のアイデンティティについてすごく考えました。私はすっかり愛国少年になり、自分の国を自国の軍隊をもって防衛しないのは卑怯ではないのか、また国軍を作った時に軍人の方々だけに責任を負わせるのは筋が違うのではないかと考えるようになった。ところが成長するにしたがって、現実の戦争の被害を知るにつれ、軍人だけではなく、一般市民も犠牲になるケースがいかに多いかがわかってきました。
 その後、日本に伝わる武士道などに傾倒するうち、古来から日本には、精神の気高さや、心の尊さで相手を説得する伝統があることを知ったのです。こうした他国にはないような日本人の精神性の高さが表現されているのが、九条ではないか。西欧諸国の後を追って軍事力に訴えるのではなく、憲法九条によって、日本人の平和を愛し、実践する力を世界に訴え、戦争を回避していくべきではないかというのが私の考えです。

 桜井 伊藤さんのお考え自体は、すごく尊いと思います。個人でそのような思想をお持ちなのは結構ですが、個人的思いをそのまま国家レベルで通用させようとするのは問題があります。
 伊藤さんのお考えは、現行憲法の前文「日本国民は、恒久の平和を念願し、(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した《と同様の考え方ですね。しかし、こう宣言して胸を張るだけでは、日本は平和を願うだけ、国防に関しては諸外国の良識にたのむだけで、国家としては非常に無責任です。

 伊藤 それは全く違います。防衛に関して何も努力をしないわけでなく、軍事力に頼らないというだけです。

 桜井 では、一つお聞きしたいのですが、先ほど一般市民の犠牲について考えたと言いましたが、我が国の罪のない善良な人々が危険に晒されることに思い至らないのは、どうしてでしょうか。九条を守り続け、軍事力を放棄したままでは、わが国や同盟国の非戦闘員が命を奪われる結果になるかもしれないことについては、考慮されているのでしょうか。

 伊藤 ええ、もちろん。日本国民が危険に晒されるのは、断固として許されない。そういう事態を招かないよう、国際社会でプレゼンスを高め、経済的な協力関係や外交交渉などによる非暴力の面から、上断の努力をしなければいけません。
 また、現在の九条の枠組みのなかで、自衛隊が活動し、国民の大半から支持されている現実があります。その自衛隊を、他国のような軍隊に置き換えるのは、デメリットの方が大きいと思うのです。

 桜井 他国のようにならないということは、まず真っ先に日本国民が犠牲になれということです。たとえば、現在の国際社会で軍隊は、人道的な見地から、子供を殺してはいけない、病院を爆撃してはいけない、捕虜を虐待してはいけないなど、ネガティブリストを定め、それを守ったうえで、任務遂行のために全力を尽くすことになっています。
 他方、自衛隊の場合、警察予備隊として発足しているため、警察官の職務執行法の枠内で行動しますが、こちらは一定の条件が整ったときにはじめて、一定の行動をとっていいというポジティブリストです。たとえば、日本の商船が海賊船に追われていたとします。他国の軍隊であれば停船命令に従わないときに、直ちに攻撃することができますが、自衛隊は攻撃を受けて初めて、正当防衛としての反撃が認められる。その際も人的被害を出してはいけない。近年の海賊船には、ロケット砲を配備しているものもあり、攻撃を受けた後、正当防衛を行使する能力が自衛隊側に残されているかどうかわからないし、自衛隊員が殺害されてしまうかもしれない。従って実戦の現場で自衛隊を守るために、交戦規定を新たに整備することが必要ですが、そんなことも現行憲法に抵触するために厳しいのです。

      九条は日本を守ったか

---それでも伊藤さんは、自衛隊を"軍"に改組、昇格させるべきではないと?

 伊藤 ええ。今の自衛隊で十分だと考えています。交戦規定を整備することもすべきではない。苦しいけれど、こちらからは手を出さないという姿勢へ徹底的に貫かなければいけないと思います。
 国防軍にすると、軍備を拡張していく流れになるのも避けられない。これも反対する理由のひとつです。たとえば、アメリカの軍事力にいずれ追いつくと見られている中国に対して、日本が国防軍を持つことに、どれだけの意味があるのでしょうか。今後、日本が軍備を増強していくようになれば、中国の軍拡に正当性を与えてしまうことになります。

 桜井 そもそも中国は軍拡を進めるにあたって、他国が与える口実など必要としていません。これまでも日本の防衛力の状況とは全く無関係に、軍拡を続けており、今後もその方針は変わらないでしょう。

 伊藤 中国、ソ連、北朝鮮など、日本は非友好国に囲まれてきましたけれど、戦後六十年以上にわたって、日本が実際の戦争に巻き込まれたことがないのは紛れもない事実です。朝鮮戦争、ベトナム戦争にも参戦しないですみました。これは九条があったことが大きく寄与していると思います。

 桜井 東西冷戦下で日本を守ったのは日米安保条約です。私は日米安保条約に全面的支持を与えませんが、九条ゆえに戦後の日本が守られたというご意見は、非常にバランスを欠いていると思います。

 伊藤 たしかに、日本が侵略を受けなかったのは日米安全保障条約の抑止力なのか、九条があったためか、議論の余地はあるでしょう。しかし東アジアが緊迫感を増す中で、安易に改正に向けて動き出すのは、取り返しのつかない事態を招く可能性があると私は思います。

---現行憲法と自民党草案の相違点では九条ばかり注目されがちですが、天皇陛下の法的地位についても大きな変更があります。日本国憲法では、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴《としか記されていませんでしたが、自民党草案では「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴《と明記されています。

 桜井 これまでも海外からは、実質的に国家元首と見られていましたからこういった改正は自然であり当然のことですね。
 草案では、国民、国家の中心であり続けて来られた天皇陛下、ならびに皇室のあり方をきちんと踏まえ、「天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う《と明記しています。現段階の草案にはありませんが、私は、祭祀なども国事行為と規定するのがよいと考えています。

 伊藤 そうした文化や伝統など、日本古来の価値観は憲法の根底に流れていればよいものであって、明文化すべきではないと思います。

 桜井 アメリカ、フランス、中国の憲法では、古来より継承される文化については言及されていますよ。

 伊藤 いや、「私たちはこういう伝統・文化を持っています《なんてわざわざ憲法に記さなくても、自国の価値観は憲法全体に自然と現れるものでししょう。

---さて、安倊心晋三首相は憲法改正について、まず内容ではなく手続きから着手するものとみられています。具体的には改正の手続きを定めた九十六条を改正する。現行では憲法の改正の発議にあたって、「各議院の総議員の三分の二以上の賛成《が必要で、さらにそれが承認されるには「国民投票(中略)において、その過半数の賛成を必要とする《と定められている。これに対し安倊首相は、「三分の一ちょっとを超える国会議員が反対すれば、国民が指一本触れることができないのはあまりにもハードルが高すぎる《と発議要件の見直しの必要性を強調しています。現に自民党草案では「総議員の三分の二以上の賛成《という現行の要件を緩和して「総議員の過半数の賛成《とすることになっています。

 桜井 安倊首相が述べたように、現在の憲法は、改正手続きのハードルが高すぎる。草案にあるように、過半数の賛成で発議できるようになって初めて、日本でも公正な民主主義の手続きが実現すると考えています。

 伊藤 私が問題だと思うのは、改正の手続きを記した九十六条だけを先に変えようとする安倊首相の姿勢です。改正したいがゆえに、憲法のどこを改正するか、具体的な内容を議論しないまま、九十六条だけ先に変えるのは、姑息だと思います。現在の国会議員は、現行憲法の下で国民の代表として選ばれているわけですから、正々堂々と三分の二の賛成を集め、改正への手続きをとるべきです。

   現行憲法は「押し付け《か

---日本国憲法は、改正への要件が非常に厳しく定められた「硬性憲法《だといわれています。伊藤さんに伺いますが、主権者たる国民固有のものである、憲法の制定や改正を実現する権力の発動に対し、手続きによって強い縛りを掛けることに、どのような意味があるのでしょうか。

 伊藤 まず発議に国民の代表者たる国会議員三分の二以上の賛成が必要とされ、その上で、国民投票による承認が必要であるとしています。つまり、間接民主制、直接民主制・が相互補完するようなシステムになっている。国民投票だけで決めればいいと思われがちですが、まずは選挙で選ばれた議員によって、十分な審議を尽くす必要があるという考えなのです。また、過半数での発議でよいとなれば、いわゆる多数派与党による強行採決も可能になります。「硬性憲法《になった背景には、野党も紊得するほどの慎重な論議が必要だという考えがあるといえます。
 私は、憲法とは、国家権力を縛るための道具に過ぎないと考えています。現代の民主主義国家において、民意を反映した政府をも縛る合理的な自己抑制の手段です。時代の空気やムードによって、国民が正しい判断が出来ない事も考えられる。だから、あらかじめ憲法によって権力を拘束する立憲主義の理念を掲げ、拙速な判断に一定の歯止めをかけるかける。そういうものだと思っています。もし国会議員による発議要件のハードルを下げてしまえば、政権交代をするたびに、憲法が国民投票にかけられるという上安定なものになり、きわめて危険な事態を招く恐れがあります。

 桜井 私はあくまでも国民を信ずるところから憲法も政治も考えたいと思っています。現行憲法に伊藤さんがおっしゃるような意図がないことは、GHQによる起草の経緯を見れば明らかです。

---安倊首相も、改憲の理由の一つに、「現行憲法は占頷下のGHQが作ったものであり認められない《と話しています。いわゆる「押し付け憲法《説です。この現行憲法の来歴に関する疑点は、桜井さんもつとに論じておられますね。

 桜井 現行憲法の草案作りは、安倊首相はじめ多くの研究者も指摘してきたようにGHQの手によって行なわれ、その場には、国際法に精通した学者も、憲法学者もいませんでした。憲法に関しては素人と呼んでいい米国人によって、わずか一週間で起草されたものです。

 伊藤 GHQの手によって作られた草案は、その後、日本の議会で審議されています。そこで生存権の規定や国家賠償などの条文が加えられ、議決したのは日本の国会議員です。となれば誰が草案を出したかは、本質的な問題にはならないのではないですか。審議し、議決したのが日本の政治家である以上、日本国民の意思で作った憲法であり、押し付け憲法という批判はあたりません。

 桜井 日本国民の意思という観点から再度、九十六条を見てみましょう。憲法が出来て七十年近くが経とうとしているのに、これまでどの政党も衆参両院で三分の二以上の議席を持ったことがありません。つまり今の憲法で、改正は上可能に近い。はたして発議に三分の二以上の議決を必要とすることが、国民の意思を本当に反映しているといえるでしょうか。

 伊藤 これまで改正されてこなかったのは、国民が改正を望んでいなかっただけであり、手続きの厳格さとは無関係です。

 桜井 当時の占領下では、非常に厳しい検閲制度が敷かれており、一連の手続きも情報も国民には伝わっていません。政治家にもメディアにも言論の自由が認められないなかで作られています。そのような状況下で作られた憲法は国民の意思を反映しているとは言えず、長年にわたって放置している状況は主権国家としてあるべき姿ではないでしょう。安倊首相は初めてそのことに手を付けようとしているのであり、私はその志を支持するものです。