東京新聞2015.03.11-12

  城南信用金庫理事長対談

  

城南信用金庫 吉原毅理事長
 吉原 毅(よしわら・つよし)
 1955年2月、東京都生まれ,慶応義塾大経済学部卒業後、城南信用金庫に入り、2010年11月に理事長就任。お金の持つ魔力が、権力にしがみつくエゴイズムを生み出すとして、理事長年収を支店長平均より下の1200万円に制限。任期は会長・理事長を合わせて最長4年とし、定年60歳とした。東日本大震災による福島第一原発事故発生後の11年4月、「原発に頼らない安心できる社会へ《を宣言し、脱原発を明確に打ち出した。


被災地と長い絆を
東北の惨事人ごとと思えず
炊き出し、移動図書館・・・参加1000人
助けることで支えられ


 東日本大震災から四年。城南信用金庫(東京都品川区)は職員を派遣し、被災地への支援を今も続けている。吉原毅理事長(六〇)は、支援そのものが信金という組織のルーツに根差していると強調する。震災後、被災者や原発問題を取材してきた本紙福島特別支局の井上能行編集委員(六〇)が、これまでの取り組みや今後の構想を聞いた。

 井上 東日本大震災が発生して、すぐに被災他の支援に向かったきっかけは、何だったのですか。 吉原 城南信金の営業地域には東北出身の関係者が多い。戦後の集団就職で、東北から列車に乗って上野駅に降り立った人たちです。職員も顧客も東北出身者が、かなりいました。人ごととは思えなかった。まず、故郷にいる職員の家族の安否を確認しました。消息上明の人がいると分かり、バスをチャータlし、水や食料を詰め込んで現地に行かせました。

 井上 被災地支援を継続しているのは、なぜでしょうか。

 吉原 株式会社とは異なる、信用金庫の基本理念があるからです。株式会社は株主がいる。株主は株を買い、株価が上がり、市場で高く売ったり、配当を増やしたりするのが最大の関心事。信金は、金をもうけれぱいいという考え方に対抗するために生まれてきました。信金のルーツは一八四四年、英国のロッチデールという町で生まれた協同組合でした。当時は産業革命で、貧富の差が拡大。生活品を上当に高く販売する業者が出てくるなど、働く人々の生活が急激に悪化する中、共同出資して良質な生活品を仕入れ、安く販売しました。困っている人たちが助け合うための組織で、信金はこのDNAを受け継いでいます。

 井上 信金は原則、営業エリア内の中小企業や住民しか会員になれない。城南信金の支援は東京、神奈川という営業エリアを越えるが、躊躇はありませんでしたか。

 吉原 東北での惨事を、私たちの会員の方々は日本人として「助けたい《と思っていらっしゃると確信していました。「自分さえ良ければいい《とは考えないだろうと。もともと、人を大切にする理念を共有していますから、本業そのものだと捉え、被災者支援対策本部をつくり、全力で取り組みました。

 井上 被災他では震災後、しばらくは肉体労働が必要とされ、大企業の支援は主にそれでした。今、肉体労働の仕事がなくなってきていて、何をしたらいいのか、分からないケースが多い。一方、城南信金は次から次へとさまざまな支援ができていますね。

 吉原 「社会貢献はおまけ《という考え方だと、どうしても鈊ります。「本業だ《と考えて取り組むと真剣さが出てきます。最初は避難所になっている中学校の体育館で炊き出しをしました。お寺が寄宿舎だったので、津波犠牲者の葬儀の手伝いもしました。その後、仮設住宅支援に移りました。孤独な仮設住民の心のケアをしようとカラオケを持っていき、一緒に歌って踊りました。移動図書館車を購入して漫画や雑誌を積んで行きました。子どもたちにはそれを読んでもらい、ポップコーンやたこ焼きを作って、食べてもらいました。役員も職員も関係なく現在まで約千人が、泊まり込みのボランティア活動をしました。
 ショックで言葉を失った子どもらに「書《を通じて、つらい思いを吐き出してもらう「書きましょ《という活動も行いました。
 「海《と書いた子どもがいました。それを家に持って帰ったら、母親から「何で、父ちゃんを奪った海を書くの《と叱られました。その子はこう言ったそうです。「海は、父ちゃんが大好きだった場所じゃないか《。言えないことを「書《で表現すると、心がふっと軽くなるんです。
 支援する側も、営業の仕事でうまくいかず、落ち込んだりヽストレスを感じたりしても「ありがとう、また来てね《と言われると、入の役に立てたと実感できる。そのことで逆に心が癒やされ、明日への活力が湧いてくるんですね。

 井上 福島での支援は、必ず地元の信金と組んで動きますね。

 吉原 震災をきっかけに東北地方の信金のネットワークが強まりました。同じ理念を持つ仲間という意識で取り組んでいます。当初、被災地に漂っていた、よそ者を警戒する雰囲気を払拭するためにも、地元で信頼されている信金に助けていただきました。被災地を含む全国六十三の信金が協力し、中小企業に新しい仕事を創るための出合いの場「よい仕事おこしフェア《も企画しました。震災直後は経営見通しが立たず、採用できなくなった宮古信金(岩手県宮古市)とあぶくま信金(福島県南相馬市)の内定者を計十人引き受けました。

 井上 新人教育には時間もお金もかかる。仕事を覚えたころに帰った方々もいるそうですが。

 吉原 搊得でものごとを考えるのではなく、困っている方々に手を差し伸べることが大切だと思っています。短期的なマネーゲームの考え方だと、活動が縮小してしまう。一方、私たちは長期的な絆をつくろうと思って取り組んでいます。そうすれば、必ず良い人間関係ができてくる。そのつながりが広がって、大きなビジネスになり、結果として利益にもつながります。囲碁と同じで、目先ばかりを考えていてはいけません。

 井上 被災地がいま、一番必要としているのは知恵だと取材現場で耳にします。NPOを設立して新しいことを始めようとしても、経理の知識を持った人がいない。効果的な広報をできる能力を持った人がいない。街づくりのアドバイザー的役割を担ってほしいとい う声が出ています。

 吉原 少し違うかもしれませんが、現在、石巻信金(宮城県石巻市)に職員を毎年派遣しています。そこでは津波の被害を受けた場所にレストランをつくるなど、まったくゼロのところから新しい事業を創る手伝いをしています。公益財団から資金を出していただき、融資をしていくとともに、さまざまなノウハウを持った人材集めもします。東京に戻ってきた職員には、その経験を生かしてもらう。そして、東京や神奈川のお客さまにも工場進出をお願いします。お客さまも被災地の方々の役に立つならと喜んで協力してくださいます。私たちも補助金の支給手続きなどのお手伝いをしています。

 井上 そういうものを求めていると思います。役所に出す書類の書き方が分からず諦める人も多い。外に進出しようとしてもまったく情報が分からないのです。

 吉原 いま地方に資金需要がないと、地方銀行がどんどん東京で事業展開をしています。地元を盛り上げるのが地方銀行の仕事なのに、肝心の地元をほったらかしにしている。自分たちがもうけさえすればいいという考えです。私たちは逆に東京から地方に向けて資金を供給し、地方創生に協力していきたいと考えています。例えぱ、地元の信金が資金需要を全部請け負うのはリスクが高い。東京から地方に資金提供するとともに、経営面での助言もしていきたいですね。

原発のない安心を
「安全、万全」うそだった


 井上 「原発に頼らない安心できる社会へ《というメッセージを出したのは、原発事故の発生からわずか二十日ほどですね。

 吉原 3・11後に東京、神奈川が放射性物質によって汚染され、金町浄水場(東京都葛飾区)の水が汚染され、飲めなくなりました。幸いに風向きの関係で大半の放射性物質は太平洋側に落ちた。もし逆だったら、さらに大きな被害が出ていました。
 それなのに多くの新聞はまだ原発は必要だと報道を続けた。ぞっとしました。これを見て見ぬふりをするのは、信用金庫の理念に反する。よりよい社会をつくるために原発を止めようとはっきり言わないといけないと思いました。

 井上 メッセージでは、脱原発をはっきり打ち出しています。

 吉原 日本の指導者層の方々はみんな何をやっているのかという批判です。原発は安全で、政府や電力会社は万全の体制をとっていると言っていたのがうそだった。私たちは代替エネルギーヘの融資など、金融機関として省電力を促進することが必要だと考えました。

 井上 企業がそんなこと言っていいのか、という反応はありませんでしたか。

 吉原 金融機関は政治に対して口を出すべきじゃないという声はあった。だが、昭和初期に三十四銀行(三菱東京UFJ銀行の前身の一つ)の副頭取を務めた一瀬粂吉さんが銀行の健全経営に関する考えを記した書籍「銀行業務改善隻語《によると、銀行は政治家に利用されてはいけないが、銀行員は理想を持つべしとある。政治家を動かして理想社会をつくるぐらいの気概が必要なんだ、と私は読みました。
 銀行や企業が政治的な思想を持ってはいけないというのは、商売のじゃまになるからです。たとえば私はこういう理想を持って車を売ります、車を正しく使ってくださらない方には売りませんと言ったらマーケットの半分を失い、株主の利益は失われてしまいます。利益がすべて、拝金思想という一つの偏った政治思想にとらわれているだけです。利益重視は政治的に中立でも何でもありません。

 井上 原発はリスクが高すぎて、金融機関は融資をしない。ところが政府が保証するなら、今度は逆にリスクを負わなくてよい。そうすれば、こんなにもうかるところはない。だから融資をする。これが都市銀行です。

 吉原 それは事実です。マーケットをゆがめて、自分たちだけ利益を得る構図です。

 井上 原発を造るもともとの発想は、人のいない所に造るというもの。いざ事故が起きた時に都会は関係ない。一方で、実際の事故の被害を見ていると、あれだけ多くの人生を狂わせるのが、科学技術と呼べるのかと感じます。

 吉原 本当です。極めてリスクが高いことが隠されてきた。3・11があり、私自身これまで関心を持っていなかったことがいけなかったと深く反省しました。
 二度とやってはいけないということを世間に知ってもらうため、省電力へ投資する人に有利な金利で融資などをする節電プレミアムローンとか、節電プレミアム定期預金を商品化しました。節電もやりました。夏は二八度まで室内のエアコンの温度を上げ、太陽光パネルを設置したり、照明を発光ダイオード(LED)に替えたり、新しい空調を入れたりとさまざまな取り組みを通じて、三割程度の節電ができました。
 二〇一一年十二月には、東京電力から新電力と呼ばれる特定規模電気事業者(PPS)への切り替えを発表しました。東電は「電力が足りないから原発を動かす《と言っていた。そんなに足らないのなら、他から買いましょうということ。そんなことができるのかとみんなびっくりし、地方自治体のPPSへの切り替えブームにつながりました。
 一二年十一月には城南総合研究所をつくりました。二代目吊誉所長には小泉純一郎元首相が就任し、原発即時ゼロに向けたリポートを出したり、講演活動をしたりしています。資金面でも、東北地方で地域密着の太陽光発電を造るプロジェクトがあり、複数の金融機関が融資するシンジケートローンに参加しました。

 井上 福島県で話を聞いていると、再生エネルギーは進めなくてはいけない。だが、大資本が出てきてメガソーラーを造っても原発と同じ。福島は土地を貸し、資本は全部東京からやってきて、電気は東京に送る。それでは構造は変わらない。つくった電気は最初、地域の知恵と工夫で経済成長地元で使って、電気代を払うのも地元ならば、受け取るのも地元の企業というようにし、余ったものを東京に回すことが地域活性化になる。

 吉原 ドイツやデンマークでは、地域再生エネルギーによる地方経済の活性化が大きな成果を上げている。アベノミクスの「第三の矢《で地方創生と言っていますが、再生エネルギーを核に独自産業を組み合わせると、地域経済が活性化し、新しいコミュニティーができる。東京からも地域の信用金庫の活動を応援したい。
 コミュニティーの人たちが、互いに協力して自然資源を生かし、次から次へと新しいプロジェクトを考えて価値を創造していくのが本当の経済活動なんです。原発が来て、原発があるから雇用の拡大になる。補助金が出るから地域活性化になる。そんなことを言っても実際にはそうなっていない。なぜか。原発なんて地元とは無縁の存在でしかないのです。そんなものに将来はありません。
 信用金庫のような市民ファンド、市民、国民、村民が自分たちの資金を持ち寄って、地元の事業をやって、自分たちの知恵と工夫でどんどん拡大するといった自立的な取り組みはどんどん発展、成長する余地があります。
 経済成長のためには原発を止めた方がいい。新世代火力みたいなものがどんどん出てくれば、大企業も中小企業も含めたものづくりメーカーが潤う。自然エネルギーで、地方も潤っていきます。

 井上 城南信金として、これから何を進めますか。

 吉原 たくさんありますが、一つは電力自由化です。自由化で、いろいろな事業者が電力業界に参入してくるので、原子力に頼らない電力会社と、原子力をあくまで推進する電力会社を、はっきり峻別したい。原子力に頼らない電力会社を全面的に支援するため、地元のお客さま、企業、家庭での電力の切り替えを徹底的にやっていきたい。原発に頼らないエネルギーでやっていく方針の電力会社の売り上げ増に貢献したい。この社会を安心できるようにしたいと思っていますから。

 信用金庫 地域住民らの相互扶助や地域社会の繁栄という公益に尽くすことを目的とした会員制の金融機関で、全国に267金庫ある。株式会社と違い、信金は利用者の意見を尊重するため、決算や理事・監事の選任といった経営に関する重要事項を決める際、出資金額にかかわらず会員一人一票の議決権を持つ。城南信用金庫は東京全域と神奈川県の一部が営業地域で、会員は約32万1000人。従業員は2132人。

原発に頼らない安心できる社会へ
 城南信用金庫は2011年4月1日に発表したメツセージで「今回の事故を通じて、原子力エネルギーは、私たちに明るい未来を与えでくれるものではなく、一歩間違えば取り返しのつかない危険性を持っている《「政府機関も企業体も万全の体制をとっていなかった《と指摘した。その上で「原子カエネルギーに依存することはあまりにも危険性が大き過ぎる」として、「省電力と省エネルギーのためのさまざまな取り組みに努める《と、節電運動など11頂目め実施を掲げた。