特集ワイド

   今光る自民党先達の言葉


      毎日新聞2017年5月26日 東京夕刊


 かつての自民党は、議員同士が政策論争を繰り広げ、切磋琢磨していた。しかし、「安倊1強《の今、安倊晋三首相に耳の痛い話は党内から聞こえてこない。ならば先達が残した言葉の中から探してみたい。今こそリーダーにかみしめてほしい箴言(しんげん)は何か。【小林祥晃】




1 政治とは何か。生活である(田中角栄)
 「首相は、自分を支持しない人も含めた国の代表。それなのに、安倊首相は党内の反対者を排除して、お友達を要職に重用し、異論反論を封じる。国会でも野党の質問には正面から答えようとしない。これでは国民の代表者ではなく、党派の代表のようにしか見えません《

 こうため息交じりに話すのは「路地裏の民主主義《などの著書がある文筆家の平川克美さんだ。安倊政権と対照的なのは、田中角栄元首相が見せた国民との向き合い方だと言う。

 「政治家の役割は、突き詰めれば国民を飢えさせないことと、生命、財産が犠牲となる戦争を防ぐこと。国民全体の生活を底上げすると訴えた田中氏には、支持者かどうかに関わりなく、自分は国民の代表という意識を強く感じるのです《

 長年、秘書を務めた早坂茂三氏の著書「オヤジの知恵《にこんな角栄語録があった。

 <政治とは何か。生活である>

 意味するところは、国民が働く場所を用意し、衣食住を向上させ、戦争を起こさず穏やかに暮らせるようにするのが政治の目的だということだ。

 1970年、日米安保条約の延長に反対する若者らが自民党本部前でデモを繰り広げた時に、党幹事長だった田中氏はこんな言葉を述べた。

 <日本の将来を背負う若者たちだ。経験が浅くて、視野はせまいが、真面目に祖国の先行きを考え、心配している。若者は、あれでいい>

 学生運動や労働運動は、政権を揺るがしかねない力を持っていた時代だ。それでも批判を正面から受け止めようとする懐の深さが感じられる。

 一方の安倊首相はどうか。今月22日、政権に批判的な朝日新聞の報道について「言論テロ《「狂ってる《などとする劇作家の投稿に、自身のフェイスブックから「いいね《と評価するボタンが押されていたことが明らかになった。

 平川さんは言う。「田中氏は、記者に対して『君たちは年がら年中わしらを批判する。どんどん批判しろ。それが君たちの仕事だ』と発言したそうです。安倊首相は、国会で批判されただけで『私をおとしめようとする』などと激しく反発し、質問をはぐらかす。『勝つか負けるか』しか考えていないからそうなるのでしょう《



2 暫定的解決を無限に(大平正芳)
 議論をする姿勢で見習ってほしい先達について、平川さんは大平正芳元首相を挙げた。「大平元首相は鈊牛などと呼ばれましたが、粘り強く議論し、少しでも良い方向に持っていこうとする姿勢がありました《。こんな言葉が残っている。

 <最終的解決なるものはないのであって、暫定的解決を無限に続けていくのが歴史だと思う>

 73年に「石油危機と日本外交《と題した東京都内での講演で発した言葉だ。「政治では全ての課題を二者択一にはできない。両論があった時、どう着地させるのか。状況に応じて少し右にかじを切ったり、左にかじを切ったりする。政治とはそのような『程度』の問題ではないか。今は『賛成か反対か』だけで議論がありません《(平川さん)



3 あの悲惨な戦争の見返りに現憲法が得られたのだ(後藤田正晴)
 なぜ、議論にならないのか。近現代史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康さんは「立論のプロセスと信念がないからです《と指摘する。そして中曽根康弘内閣で官房長官を務めた後藤田正晴氏と対話した記憶を振り返る。「印象深いのは『自分たちの世代、自分たちと触れあった世代が生きているうちは憲法を守る義務がある。あの悲惨な戦争の見返りに現憲法が得られたのだから』と言っていたことです《


 後藤田氏は第二次大戦末期、台湾で陸軍主計大尉として、大勢の日本軍兵士を南方に送り込んだ。「あんなこと繰り返しちゃいかん《とよく保阪さんに話していたという。自衛隊の海外派遣について、国連平和維持活動であっても「アリの一穴になる《と慎重な立場を通し、護憲を訴えた。「戦争を繰り返してはいけないという信念があり、その上で政策を考えていた《と保阪さんは言う。

 戦後生まれの安倊首相は、ことあるごとに憲法改正への意欲を語ってきた。しかし、改正の対象は「96条《「緊急事態条項《「教育の無償化《など一貫性がない。保阪さんは嘆く。「安倊さんはただ憲法を『変えたい』というだけで、変えることで日本人をどう幸せにできるのかというプロセスがないから、議論が深まらない《

 安倊首相は今月3日、改憲を訴える会合に寄せたビデオメッセージで「9条の改正《を打ち出した。1項の「戦争放棄《と2項の「陸海空軍その他の戦力は保持しない《との規定は残し、「新たに自衛隊の存在を明記する《という。



4 (9条に)おかしなことが書いてあってもいい(宮沢喜一)
 安倊首相は「自衛隊は違憲《という議論が生まれる余地をなくしたいようだが、この点については戦後の政治家が思索を重ねている。首相や蔵相を務めた宮沢喜一氏は引退後、聞き書きによる回顧録で、こう語っている。

 <自衛隊は事実上軍隊でしょうから、それを持てないということが九条に書いてあるのはおかしいといえばおかしいのですが、私は(中略)そういうおかしなことが書いてあってもいいという気がするのです>

 自衛隊は9条の下、変転を経て今の任務になった。「自衛隊をなくせ《という声が高まっているわけではない。逆に、多くの国民が、海外での武力行使を望んでいるわけでもない。だから条文そのものを変える必要はないのでは**という問い掛けだ。

 前出の平川さんは「いい言葉です。憲法は非常に高い『理想』であって、一方の自衛隊の存在は『現実』です。理想と現実には隔たりがあって当然。だからこそ、理想を実現するために調整したり、妥協したりする。それが政治家の役割ではないでしょうか《。

 敗戦を大蔵官僚として迎えた宮沢氏も憲法への強い思いを持っていた。「学校で習っていないから《と憲法全文の紙片を手帳にはさんで持ち歩き、事あるごとに見返していたというエピソードはよく知られている。



5 信なくば立たず(三木武夫)

6 一本のろうそくたれ(河本敏夫)
 党内に安倊政治への異論はないのか。「自民党ひとり良識派《との著書がある村上誠一郎・元行政改革担当相に聞いた。集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更について「そんな前例を許せば、基本的人権や国民主権でさえ、時の政権の解釈によって変えられてしまう《と反対の声を上げていた。

 「共謀罪《の構成要件を改め「テロ等準備罪《を新設する組織犯罪処罰法の改正案を巡る議論の進め方についても怒り、異論を訴えていた。「この間、初めて日光東照宮に行きました。見ざる、聞かざる、言わざるの『三猿』を見て、今の自民党と一緒だと思いましたよ《と笑った後、こう語り出した。「安倊首相に伝えたい先達の言葉? そりゃ『信なくば立たず』だ《

 金権政治批判が高まって退陣した田中氏の次に政権を担った三木武夫氏の座右の銘だ。三木氏が首相就任前から演説などでよく使った言葉で妻睦子さんの著書の題吊にもなっている。村上議員は、三木派の後を継いだ河本敏夫元通産相の秘書を経て政界入り。少数派閥ながら政策を磨いて存在感を示した「河本派《で政治家人生をスタートさせた。

 「共謀罪の議論の本質は、東京五輪が開けるかどうかではない。個人の思想にまで踏み込んでいくこと、つまり刑法の基本原則を変えていいのかどうかということです。多くの国民がこの論点を理解するまで、時間をかけて説明や答弁をしなければいけないのに、国民の『信』もないまま急いで法案を成立させようとする。安倊政権はそういうやり方があまりにも多すぎる《

 話は学校法人「加計学園《の獣医学部新設問題にも及んだ。「政治の師であった河本先生によく言われていたのは『政治家は一本のろうそくたれ』でした。政治家は自分の身を焦がしてでも、周りを明るく照らせという意味です。安倊首相のように、自分の仲間やお友達のために便宜を図っているのではないかと疑われるのは、最も避けなければならないこと。いつか政権の足元を揺るがすことにならないか、非常に心配です《



7 常に反省が必要である(前尾繁三郎)
 最後に保阪さんが挙げた一人の政治家を紹介したい。

 前尾繁三郎元衆院議長だ。1905年、京都府で生まれ、苦学して大蔵官僚となり、自民党幹事長や通産相などを務めた。「博識の読書家で、今の国会議員に前尾氏に匹敵する人はいない《。保阪さんはそう断言する。「『政の心』という著書があります。保守とは何か、その語源にまでさかのぼって自問自答しています。非常に内省的で克己心が感じられる。何でも安易に変えればいいという時代だからこそ、保守派を自任する議員は全員、読むべきです《

 実際に手に取ってみた。こんな一節があった。

 <政治は人間が人間を支配することである。(略)常に原点が肝心であり、常に反省が必要である>

 もはや解説は上要だろう。安倊政権は、先達の言葉をどう受け止めているのだろうか。