自民縛る二つの草案

   憲法考 揺れる各党


      2016.08.13 読売新聞


 参院選翌日の7月11日。「いかに我が党の案をベースにしながら3分の2を構築していくか。これがまさに政治の技術だ《安倊首相は記者会見でこう語り、自民党が2012年にまとめた憲法改正草案を「ベース《に位置づけた。

 だが、草案への評価は芳しくない。野党は「保守色が強すぎる《と警戒し、公明党からも「いろいろ課題がある《(山口代表)との声が上がる。関係者の間では「草案は障害物になっている《とさえ言われる。

 草案は野党時代に作成された。谷垣総裁の指示で09年12月に憲法改正推進本部が新設され、本部や起草委員会の会合は50回以上に及んだ。

 12年4月、自民党本部総裁室。保利耕輔本部長は天皇制国などについて谷垣氏に判断を仰いだ。「天皇は『元首』の方がいい。明記した方がいい《こう進言する保利氏に、谷垣氏は「保利さんがそうおっしゃるなら《と応じた。

 数日後に発表された草案には、過去になかった表現が並んだ。天皇は「日本国の元首《と明記され、自衛隊を「国防軍《と位置づけた。国旗・国歌を尊重する義務がうたわれ、家族は「互いに助け合わなければならない《と記された。

 策定にかかわった議員は「『自民党らしさ』にこだわった。野党だったので公明党との調整もいらなかった《と振り返る。野党転落で会議に出席する議員も少なく、「声が大きい人の意見が通った《(党関係者)との指摘もある。

 対照的に、小泉内閣の05年にまとめられた草案では、保守色が極力抑えられた。「日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、国民統合の象徴たる天皇と共に歴史を刻んできた《

 前文の起草を担当した中曽根康弘元首相や安倊普三幹事長代理(当時)らは、日本の歴史や風土に関する記述を盛り込む案をまとめた。

 しかし、とりまとめを担った与謝野馨政調会長らは「復古的な草案は自己満足に過ぎない《と却下。天皇についても「元首と明記するべきだ《という一部議員らの主張を退け、「象徴天皇《を継承した。与謝野氏らは、国会で野党の賛成が得られる草案を目指していた。当時を知る党関係者は「国会で賛成が得られる草案を目指す『協調派』と、自民党らしい草案を目指す『復古派』の路線対立があり、協調派が押し切った《と指摘する。12年草案ではその反動が働いた、とみる向きもある。


与野党協議へ軌道僧正

 参院選を踏まえ、草案の位置づけについて軌道修正を図る動きも出てきた。菅官房長官は7月15日、テレビ番組の収録で「(12年草案に)固執してやるという気持ちは全くない《と語った。12年草案の策定に携わった磯崎陽輔・前首相補佐官もツイッターでこうつぶやいた。

 「12年草案は野党時代に作成した『歴史的文書』だ。従って、それを改正するなどということはあり得ない。一方で、そのままの形で与野党協議の場に提出する性格の文書でもない《

 穏健な05年草案と、保守色の強い12年草案を併せ持つ自民党。その憲法観の幅広さは、「ハト派《と「タカ派《が路線対立を続けた党の歴史にも連なる。

 党内のバランスをとりつつ、与野党協議の場をどう整えるか。針の穴に糸を通すような「政治の技術《が自民党に求められている。