あたらしい憲法草案のはなし 

   自爆連


      2016.06.12



一 憲法を変える理由


◆憲法にもしゆうりが必要です
 みなさん、自由民主党(自民党) のあたらしい憲法改正草案ができました。平成二十四年(二〇一二年)に発表された「日本国憲法改正草案《(以下、憲法草案と略します)です。
 このあたらしい憲法草案をこしらえるために、たくさんの人びとが、たいへん苦心をなさいました。「草案《というのは「下書き《 のことですが、近い将来、いまの憲法にかわって、この「草案《がわたしたち日本国民のほんとうの憲法になるかもしれません。
 国をどういうふうに治め、国の仕事をどういうふうにすすめるかをきめた、いちばん根本になる規則が憲法です。国を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。憲法は国のいちばん大事な規則ですから、これを国の 「最高法規《というのです。
 ですが、みなさん、もしこの 「最高法規《 に欠陥があるとしたらどうでしょう。
 それは、家の柱がくさっているのとおなじですから、家のあちらこちらに「ゆがみ《や「ひずみ《が出て、いずれは家そのものが倒れてしまうでしょう。家をまもるためには、くさった柱をとりかえなくてはなりません。
 いまの憲法は、昭和二十一年(一九四六年)十一月三日に公布され、昭和二十二年(一九四七年)五月三日に施行されました。その後、わたしたちの国は七十年も、この憲法をまもってきました。ですが、七十年もたてば、どんなりつばな家でもこしょうがめだち、しゆうりが必要になります。憲法もおなじです。日本国憲法にはいま、大きなしゅうりが必要なのです。

◆いまの憲法は日本が「敗戦国《だった時代のものです
 憲法にしゆうりが必要になった理由のひとつは、日本が力をつけたことです。
 日本国憲法ができたころ、日本は大きな戦争に負けたばかりで、戦争に勝った国(アメリカやイギリスなど)の支配下にありました。日本国憲法も、日本に降伏(負けをみとめること)をもとめる「ポツダム宣言《のとりきめをもとにしています。つまりこの憲法は、外国がつくつた草案をもとに、外国の意向にそってつくられたものなのです。
 しかし、昭和二十七年(一九五二年)に日本は独立し、いまはりつばな先進国の一員です。それなのに、いつまでも「敗戦国《だった七十年もまえの憲法にしばられているのは、おかしなはなしではないでしょうか。ですから自民党は、六十年もまえから、自分たちの手でつくった憲法に変えるべきだと主張してきたのです。独立国が自前の憲法をもつのはとうぜんのことでしょう。


◆いまの憲法では、国内外の変化に対応できません
 憲法にしゆうりが必要になった二つ目の理由は、国内外の事情が変わったことです。
 現在の国際社会は、世界の平和をまもるために、一致団結してテロなどの脅威(おそろしい力)と戦わなくてはなりません。ですが、日本国憲法には、戦争を禁じた九条というものがあるために、国際社会で、きちんと責任をはたすことができません。
 また、いまの憲法は、国民の権利を必要以上におもんじているため、国の大切な仕事をする政府や省庁などにとっては、迷惑なきまりがたくさんあるのです。国の仕事がすすまなければ国民の生活にもさしさわりますので、これは国民にとっても大きな問題です。
 このように、いまの憲法には、現実と合わないところ、上便なところ、まちがったところがたくさんあります。それをひとつひとつなおすのが、憲法を改正する大きな目的なのです。

◆いまの憲法には「日本らしさ《が欠けています
 この本の巻末にある、いまの憲法の書きだしを読んでみてください。(日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し……)
 たいへん長ったらしく、また、わかりにくい文章で、みなさんも「変な日本語だ《と思われたことでしょう。日本国憲法は、英語で書かれた文章を日本語に翻訳したものなので、このような、おかしな日本語になっているのです。
 おかしいのは日本語だけではありません。日本国憲法の前文には、日本がどんな国かをしるした文章がありませんし、もともと外国の考えでつくられた憲法ですので、日本の風土に合わない条文もすくなくありません。このようなゆがんだすがたをなおし、日本の文化と伝統をふまえた日本らしい憲法にすることも、憲法を改正する大きな理由なのです。


◆憲法の三原則が変わります
 では、あたらしい憲法草案では、いまの憲法とどこがどう変わるのでしょうか。
 みなさんは、学校で「日本国憲法の三原則《をならったことがおありでしょう。
 日本国憲法の三原則とは、つぎの三つをさします。
一、国民主権
一、戦争放棄
一、基本的人権の尊重

 この三原則はとてもたいせつなものだと学校ではおそわったことでしょう。けれども、さきほども申しましたように、この三つの原則には、どれもおかしいところがあるのです。つまり、みなさんは、学校でいままで、まちがったことをおそわってきたのです。
 あたらしい憲法草案は、このような憲法のまちがいをただし、日本がよりよい国に生まれかわるために、国を愛する人びとが知恵を結集して考えだしたものです。
 憲法草案案、すなわちあたらしい憲法の三原則はつぎの三つです。
一、国民主権の縮小
一、戦争放棄の放棄
一、基本的人権の制限

 また、この三原則以外にも、大切な変更点がいくつかあります(それは最後の章でおはなしします)。それでは、つぎの章から、ひとつずつおはなししていきましょう。



二 国民主権の縮小


◆日本はこれからも民主主義の国です

 「国民主権《とは民主主義のもとになる考えかたで、国民が国の主役であり、国の政治は国民がきめる、という意味です。「主権在民《 ともいいます。
 明治二十二年(一八八九年)につくられた大日本帝国憲法(明治憲法)では、(大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス)(一条)ときめられ、日本は天皇が治める国でした。
 昭和二十一年(一九四六年)につくられたいまの日本国憲法では、この原則が大きく変わり、日本の政治は日本国民が自分できめることになったのです。
 主権をもっている国民は、国会議員(衆議院議員と参議院議員)、地方自治体のリーダー(都道府県知事や市区町村長)、地方議会の議員など、自分たちの代表を選挙でえらぶことができます。平成二十八年(二〇一六年)の選挙から、選挙権年齢がひきさげられ、日本国比は十八歳から投票ができるようになりました。投票する権利をもった国民を「有権者《とよびます。このように、国民の意思にそって国を治めていくことを「民主主義《といいます。また、国民がえらんだ国の代表者が政治をおこなうことを「間接民主制《というのです。
 憲法が変わっても、日本が民主主義の国であることはすこしも変わりません。ですが、あたらしい憲法になりますと、「民主主義のかたち《が変わるのです。

◆民主主義には困ったところもあります
◆前文の主語が「日本国民《から「日本国《に変わります
◆天皇が「元首《になります
◆国旗と国歌を尊重する義務が生まれます
◆西暦より元号をおもんじてもらいます
◆あくまでも「国《があっての「国民《です




三 戦争放棄の放棄


◆憲法九条は、はずかしい条文です

 いままでの憲法では、日本がけっして二度と戦争しないように、二つのことがきめられていました。ひとつは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争するためのものは、いっさいもたないということです。これを「戦力の放棄《といいます。「放棄《とは「すててしまう《 ことです。
 もうひとつは、よその国と争いごとがおこつたとき、けっして戦争によって、相手をまかして、自分のいいぶんをとおそうとしないことです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で相手をおどすようなことも、いっさいしないことにきめたのです。これを「戦争の放棄《 といいます。
 ではなぜ、こんなきまりができたのでしょうか。
 いまから七十年以上まえの昭和二十年(一九四五年)、日本は大きな戦争に負けました。この戦争は、たくさんの人の命をうばいましたので、そのころの日本人は、戦争が.二度とおこらないようにとねがい、憲法で「戦争放棄《をうたったのです。
 しかし、憲法が「戦争放棄《をかかげなければならなかったほんとうの理由はほかにあります。日本にたいする「こらしめ《という意味です。戦争に勝った国(アメリカやイギリスなどの連合国軍)は「日本から戦力や武器をうばい、二度と戦争ができないようにさせてやる《と考えたのです。これを「武装解除《といいます。武装解除は国の主権をうばうことですから、戦争に負けた日本にとっては、たいへん屈辱的な(はずかしく、つらい) ことでした。
 しかし、みなさん、時代は変わりました。
 いまの日本は、経済的にも発展し、りっばな先進国の一員です。それなのに、いまも軍隊をもつことができず、おおくの先進国が参加する戦争にも加われないのは、なぜでしょうか。それは憲法九条がじゃまをしているか.らなのです。

◆平和主義の考えかたが変わります
◆積極的平和主義をうちだします
◆自衛隊より強い軍隊がつくられます
◆国防軍は武力をもったとくべつな組織です
◆軍の活動はんいが広がります
◆国際社会での平和維持に貢献します
◆国防軍は国内の治安もまもります
◆国を守るのは国民の義務です




四 基本的人権の制限


◆基本的人権は日本の風土に合いません
 人はだれでも生まれたときから、人間として平等に尊重される(大事にされる)権利をもっています。と学校ではおそわります。それを基本的人権(または人権)ということもおそわります。たしかに自由がまったくなくては、生きる希望をうしなってしまいますから、国民のつごうを考えれば、自由や平等は保障されていたほうがよいでしょう。
 しかし、みなさん、近ごろは、自由や平等や自分の権利ばかり主張して、義務をおろそかにしている人がおおすぎないでしょうか。
 人は生まれながらにして自由かつ平等であるという考えかたを「天賦人権説《といいます。これは西洋で生まれた考えかたで、アメリカの独立宣言(一七七六年)やフランスの人権宣言(一七八九年)にとりいれられ、いまは世界じゅうの憲法で基本的人権の尊重がうたわれています。戦後の日本も、日本国憲法がさだめたこのきまりにしたがってきました。
 ですが、みなさん、日本には日本の文化と伝統があることを、わすれてはいけません。西洋の「天賦人権説《を、まねればいいというものではないのです。聖徳太子の「憲法十七条《(六〇四年)に「和を以て尊しと為す《とあるように、日本では個人の権利より「人と人の和《をたいせつにしてきた伝統があります。日本の考えかたでは、権利というのは義務をしっかりはたしてこそ、はじめて尊重されるものなのです。
 そこで、こんどの憲法草案では、いままでの西洋式の考えかたをあらため、人権にかんする条文も、日本の風土に合ったかたちに変えることになったのです。

◆国民の権利はじゆうぷん維持されます 
◆いきすぎた「個人主義《をみなおします。
◆「公共の福祉《を「公益及び公の秩序《にあらためます。
◆秩序ある報道で必要な情報が届きます。
◆節度ある「表現の自由《をまもります。
◆個人より家族を大切にしてもらいます。
◆国が英霊を弔うこともできるいようになります。
◆国民の義務がふえます。




五 強く美しい国へ


◆危機にそなえた「緊急事態条項《をもうけます
 ここまで、憲法草案のあたらしい三原則(国民主権の縮小・戦争放棄の放棄・基本的人権の制限)についておはなししてきました。日本がいつ他の国からせめられてもいいよう、国防軍がどんな戦争にでも参加できるよう、そして国民がよからぬ考えをもたぬよう、憲法草案がさまざまな工夫をこらしていることがおわかりになったでしょう。
 しかし、みなさん、これだけで国の安全がまもれると思ったら大まちがいです。国家存亡の危機は、いつなんどき、どんなかたちで訪れぬともかぎらないのです。
 そんな日がいつきてもいいように、憲法草案は最強の条項をもうけました。「緊急事態条項《とよばれる九十八条と九十九条です。
 九十八条「緊急事態の宣言《はこんな条文です。(内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる)緊急事態というのは、国が重大な危機に直面したときのことです。

◆緊急事態には、内閣がリーダーシップをはっきします。
◆国民も、国と一体のなって事態に立ち向かいます。
◆緊急事態宣言は必要におうじて出せます。
◆憲法が改正しやすくなります。
◆「立憲主義《の考え方を日本式にあらためます。
◆すべての国民はこの憲法を尊重しなければなならない
◆強く美しい国をめざします。