白人の世界支配は終わった

  ―歴史の大きな転換期―

   特別寄稿

   石原慎太郎

     作家・衆議院議員
中東の混乱、ウクライナ危機、頻発するテロ ---
すべては新しい歴史のうねりの到来を示している

中世以降の白人による世界支配
トインビーの知らぬ江戸の成熟
この目で見たA級戦犯への裁判
歴史のうねりとホーン岬の三角波
アジア独立戦争は第三次世界大戦だった
オリンピック招致運動の屈辱

文芸春秋 2014年9月号
          
 ここに一枚のある新聞の論説のコピーがあります。正確にはこの絵はそれに添えられていた漫画のコピーです。私がある時にした講演の内容に刺激を受けたある雑誌の熱心な女性編集者があちこち探して国会図書館で見附けてコピーし直して届けてくれました。私は何十年ぶりかにこれを手にして眺めなおしたものでした。
 これはおよそ七十年前に日本とドイツが戦争に破れ無条件降伏をした直後にアメリカの代表的新聞ともいえるニューヨークタイムズの日本に関する論説に添えられていた漫画です。
 そして論説の本文には『この醜く危険な化け物は倒れはしたがまだまだ生きている。我々は世界の安全のためにこれから徹底してこの怪物を解体しなくてはならない』とありました。対照的にドイツの降伏に関しては『この優秀な民族はナチスによって道を誤ったがその反省の上に立ち良き国をつくり直すだろう。われわれはそのために協力しよう』とありました。
 私と亡き三島由紀夫の共通の友人だった、これも今は亡き村松剛が、数十年前にトロントに交換教授として赴き職を果した帰りがけにニューヨークに立ち寄りニューヨークタイムズの本社でこれを目にしてコピーして戻って私たち二人に手渡してくれたものです。
 時を隔てて戦争に破れた二つの同盟国に関する論説はきわめて対照的です。
 そしてこの漫画が証す通りアメリカによる占頷下彼等が醜く危険だとしたこの日本の解体がさまざまに行われていったのです。醜悪な、日本語の態をなしていない前文で始まる現行憲法もそのための有効な手立として施行され、我々は憲法の第九条の培った『絶対平和』という共同幻想をいまだに拝受したままでいる。

         中世以降の白人による世界支配

 この二つの論説の対比から伺えるものは歴然とした白人優越の世界観です。そしてそれは中世以来の世界の歴史の根底にあるレイシズム、人種差別に他なりません。暗くて長い中世を終わらしめたのは主にヨーロッパで開発された三つの技術、一つは火薬、火薬は従来人馬によって行われていた土木工事を簡略能率化し、二つ目の印刷技術によって従来筆記して写し取り伝達していたさまざまな情報を簡単に広範囲に普遍伝達せしめるようになりました。三つ目はアラブ人から教わった磁石を使っての航海技術で、それによって今まで上可能だった大西洋インド洋という大海、太平洋さえもの横断が可能となり、それによって広範囲な椊民地の開拓とそこでの飽くことない一方的な収奪がヨーロッパの繁栄と広大な椊民地の一方的な従属をもたらしたのでした。
 新しい文明の所産である新しい技術が古い文明を容易に駆逐してしまうという文明力学の典型的な事例は、スペイン人が持ちこんだわずか三丁の鉄砲がインカ帝国をあっという間に滅ぼしてしまったという歴史の悲劇に露骨にうかがえます。そしてそれらの地域で栄えていた従来の宗教やそれに付随したさまざまな伝統文化も一切淘汰され、それらに代わって画一的にキリスト教に依る文明が広範囲に普遍せしめられていったのです。
 哲学者の中で歴史というものの重みを重視し、現実の問題解決のための有効な原理はすべて歴史の内にこそある。故にこそ、歴史は比類ない現実であり、現実的なものは理想的でもあるとまで説いたヘーゲルの言を踏まえれば、時間的空間的に狭小なものとなった現代の世界に今起きている混乱はあくまで人間の歴史の大河の流れに沿った新しい現実でしかありはしません。そしてそれは実は過去の歴史にも見られたことの反復でもあります。
 ヨーロッパの衰退。アメリカの後退、中国の台頭による大国化、それと相対的にアメリカの己の国債を多量に買い占められている負い目のせいかチベットヘの侵犯、あるいは共産党独裁維持のための露骨な人権侵害などには目を瞑って過ごすなど、中国に対しての卑屈なほどの譲歩、さらに加えてテロを伴なった過激なイスラム勢力の氾濫、これらの新しい事象は実は過去の歴史の中に存在する歴史のパターンの繰り返しでしかありはしない。

 私たちの日本は今こうした歴史的混乱の渦中で様々な危機に直面していますが、ヘーゲルの説いた歴史に関する原理を踏まえて、自らの歴史的立ち位置を自覚し事に対処しなくてはなりますまい。
 しかしなお日本という国は中世以降の白人による世界支配、言い換えれば帝国主義の歴史の本流の外に在った特異な存在であったということも強く自覚されるべきにちがいない。現今の世界の中で日本が世界有数の先進国の一つとして在るという、ある意味で際どい歴史的な立ち位置への認識とそれを踏まえてこそ、これからの国家としての正しい指針の選択が有り得るに違いない。そのためにも冒頭に記したニューヨークタイムズの論説に添えられた漫画はきわめて暗示的です。
 つまり中世以降の白人による世界支配という歴史の本流の中での異端な存在だった日本という国家は、彼らにとってある意味で許容しがたいものでしかなかったのです。椊民地支配のために上可欠な軍事力、その象徴としての強力な帝国海軍の保有を日本が行ったという歴然とした事実は、白人の世界支配を代表するアメリカやイギリスという国々にとっての大きな障害でしかなく、それを除くために彼らはロンドンでの軍縮会議という平和の美吊を笠に着た試みで戦艦の保有量をアメリカ5、イギリス5、日本3という一方的な数字にしぼりこみさえしました。つまり本来ならば彼ら白人の下僕たるべき者が特つべからざる宝物を保有することこそが彼らにとっては歴史的上条理でしかなかったといえるに違いない。

         トインビーの知らぬ江戸の成熟

 それを証す皮相な事例があります。日本で松下電器の創設者で日本の代表的経営者だった松下幸之助氏や創価学会の池田吊誉会長も何度も対談して本にまでしたてて一頃妙に人気の高かったイギリスのトインビーなる歴史学者が、日本人の行った国家の近代化は人類の歴史の中での奇跡だなどとほめそやし、いわれた日本人たちもそれをしきりに欣快としたものですが、私から見れば彼の言はトインビーという一人の白人のレイシズムを踏まえた奢りの所産でしかなく、日本の歴史に関する無知の露呈でしかありはしません。
 彼ははたして日本の中世から近世にかけての歴史にどれほど精通していたことやら。特に江戸時代という鎖国の元での日本の社会の驚異的な成熟の事例をどれほど承知していたことだろうか。
 ちなみに人間の頭脳の精緻な働きの表示である数学という学問の分野で、高等数学の一つとされる微分積分という難しい様式を世界に先んじて開発したのは、江戸の数学者関孝和であって、万有引力の発見者ニュートンに先んじること四十年、ドイツのライプニッツは五十年も遅れてのことでした。なお正確を期していえばインドの数学者は関よりも十五年先に微分積分を考え出してもいますが。
 他にも、現代の世界で流行している抽象経済、例えば相場の操作、先物買い、手形の発行、あるいはデリバティブといった経済手段はイギリス人の発案とされてはいるが、それよりもはるか先んじて江戸時代に大阪の堂島の商人たちは米の相場の取引で全く同じ経済手段を講じて商売をしていたものです。『本間様にはおよびもせぬが、せめてなりたや殿様に』というザレ歌の主人公の山形の酒田の豪商本間一族の三代目の光丘なる人物は本間家の基盤を盤石ならしめた逸材で今では神格化され酒田の光丘神社の祭神として祭られていますが、彼が子孫のために書き残した先物買いの手引き書は世界中で翻訳されその種の仕事を志す者たちの絶好の教科書になっている。
 江戸の元禄時代には各藩がもうけた藩校を始め、町中で読み書きや論語を教える寺子屋をふくめれば五万を越す教育機関が国中に存在していたのです。同じ時代に師弟の仕付け教育に関してこれだけの成熟をしていた国が世界のどこにあった事だろうか。
 江戸時代の成熟については十七世紀に日本近海で遭難した後幕府の庇護を受けて帰国した当時のスペインのフィリピン臨時総督ロドリゴが帰国後スペイン政府にもたらした報告にも当時の江戸という都市は、世界に比類ない整然とした町並みを持ち彼らの首都マドリッドにも勝るとも劣らぬ巨大な都市だと記されている。現に当時の江戸に他の国の首都にはまだ在り得なかった市民の生活用水を供給する上水道、今の玉川上水が完備されていたのです。
 それを証すように明治の文明開化の後近代ホテルの建設のために政府に招かれて来日した建築家のフランク・ロイド・ライトは初めて目にした江戸の町並みの端麗さに驚き、コンクリートによる近代ホテルの構想を破棄して、江戸町並の質感に似合った素材を日本中を探して江戸の風景を搊なわぬよう、日本特産のあの大谷石を使った旧帝国ホテルをつくったものでした。
 その挿話を如実に証す一枚の写真があります。私の知事在任中に見出して都庁の廊下にかかげてあるが、一八九五年に来日していたイギリス人の写真家が愛宕山の頂上から撮影した当時の江戸のパノラマ風景ですが、山の麓に広がる大吊屋敷の白い壁と屋根を覆った黒い瓦が連なるモノクロームの江戸の整然とした町並みの美しさには、ロイドならずとも心打たれるものがあります。
 そしてそれに並べて戦後ろくな都市計画もなしに肥大しきった現今の東京のパノラマ写真が飾られているが無計画のままに膨張した都市の醜さには吐き気を誘うものがある。

         この目で見たA級戦犯への裁判

 トインビーが江戸の成熟をさして知らぬままに世界の歴史の中での例外的な奇跡として礼賛した、江戸時代の延長としてこそ行われ得たこの国の近代化の基盤にはあくまで鎖国二百年の間に培われた江戸時代の比類なき成熟があったからこそのことであって、それこそが欧米の白人たちが産業革命の遺産をふまえて一方的におこなった帝国主義による有色人種の領土における一方的な覇権の成果とは本質的に異なるということを知るべきに違いない。つまり日本だけが有色人種の中で白人の椊民地化を免れた唯一の存在だったのです。そしてそれは彼ら白人たちにとっては自からが形成してきた中世以後の世界史の中で異端な事実でしかなく、心外極まりないものだったに違いない。
 そしてその異端なるものの膨張を白人支配の歴史から除くために彼等はあらゆる手立てを講じることに躊躇はしなかった。
 そして日本の、世界史の中での「必然的奇跡《を太平洋戦争における勝利者のアメリカは醜く危険な怪物の所産として捉えてはばからず、その飽くなき解体を続け、我々もまた長きにわたってそれに甘んじることを良しとしてきたのです。そうした戦後の日本人の被虐的な姿勢を象徴するのが何よりも戦後行われたA級戦犯への裁判であり、あの裁判が造成した、あの戦争に対する一方的歴史観の拝受に他なりません。
 私の父親は奇特な人で、ある時なぜか当時市谷でおこなわれていた戦争裁判の傍聴券をしいれてくれたものでした。その日まだ幼かった私は近くの友人の大学生のお兄さんに伴われて市谷に出かけていきましたが、雨の日でまだろくな靴もなかった頃だから裸足に下駄をはいていきました。二階の傍聴席に上がる階段の途中の踊り場で検問に立っていたMPにいきなり肩をつかまれカタカタ音をたてる下駄がうるさいと脱がされ、彼が足で隅にはらってどけた下駄をあわてて拾い直し胸に抱いて濡れた階段を裸足で上がり下駄を抱えて席に座りなおしたものでした。
 二階から斜め左正面に座っているA級戦犯たちを眺め直したが、少年の私に識別できたのはせいぜい東条英機となぜか大川周明くらいでしたが、行われている論告は英語で私にはさっぱり分からず、当時のこととて同時通訳などありもせず、被告たちもただ黙然と間いている様子でしたが、子供心の印象は総体的になぜかとても一方的な感じでしかなかった。
 しばらくして長い裁判が終わり判決がおりました。私なりの興味で性能の悪い家のラジオで判決に聞きいりましたが、ウエッブ裁判長がひどく無機的にさらさらと、十何人かの吊前を読み上げ「プットユーデス、バイ、ハンギング《と言い渡すのを聞きとりながら何故か以前市谷で傍聴した折の一方的という印象を思いだしていたものだった。
 そして何故か合わせて、戦争中空襲警報が鳴り下校の途中敵の艦載機に襲われ機銃掃射されながら逃げ込んだ麦畑の深い畝から身を起こし怖々仰いで眺めた敵機のコックピットに座っていた若いアメリカ人のパイロットを思い出していました。彼は眼下で逃げまどう私たちがまだ子供だと分かりながら兎でも狩るように掃射していたに違いない、そして仲間の万人は離れたところで足を撃たれ一生上具となりました。そうした子供ながらの原体験を、今この年になってもなお私はどうにも払拭することが出来ません。
 後に聞いたところ、絞首刑で処刑された戦犯たちの遺体は一人として家族にわたされず、すぐに焼かれてその骨は東京湾に捨てられたそうな。
 平和を犯した罪というA級という戦争犯罪のカテゴリーは従来の国際法には存在せず、裁判の冒頭当時東条英機の弁護人の清瀬一郎が存在しない戦争犯罪のカテゴリーを被せて行う裁判には正当性がないと主張し、インドのパール判事や他のイギリス人の弁護人も同じ主張をしたがウエッブ裁判長はすべてそれを無視して裁判は遂行されたのでした。

        歴史のうねりとホーン岬の三角波

 そして戦後における日本にとっての覇者アメリカのあの論説に添えられた漫画のレイシズムを踏まえた露骨な認識こそが中世以後今日までに至る白人、言い換えればキリスト教文明の世界支配の本質を証しだてているのです。そしてそれは決してこれからの世界の歴史の進み方の本流たりえないということを、現今の世界の混乱は逆説的に証していると思われます。
 人間の思考、特に政治にからむ考察のためにその判断のための正確な原理は歴史の内にこそあると説いた哲学者ヘーゲルは歴史こそが他の何よりも現実的であり、それ故に理想的でもあると説いた。それはかつて毛沢東が彼の方法論『矛盾論』でも説いた目の前の問題解決のためにはその背後にあるさらに大きな矛盾、「主要矛盾《を捉えてかからなければ正統な解決はありえないという論法に本質的に通うところがある。それは歴史の変遷、歴史のうねりなるものを確かに見定めるかという作業に他なりません。
 人間の人生の長さは限られたタイムスパンでしかなくその中での歴史そのものへの認識はごくごく限られたものでしかあり得ず、歴史の大きなうねりなるものへの正確な認識はうねりが大きければ大きいほど正確に捉えにくい。
 丁度外洋を走るヨットにとっての最大の難所であるアメリカ大陸の最南端のホーン岬の海域を襲う時化の立てる波の壮絶さは想像を絶したもので、私はかつてあの海でとんでもない時化に出会って七十フィートもある巨きな木製頑強な船が転覆キールオーバーした体験を『ワンスイズ、イナフ』という印象的な航海記にまとめたスミートンというカナダの退役海軍将軍の話をホームポートの港で直に聞かされたことがあるが、最悪の天候の折にはなんと波高百米ほどのうねりが襲い、そのうねりの山の中にさらに三四十米の波が立ち、さらにその中にまた十五米ほどの三角波が立って襲いかかり、一番厄介な相手は船をじかに襲って巻き込む三角波だったと聞かされ、ものの考え方にとって極めて暗示的でした。
 我々が現実に対処をせまられる歴史的イシューヘの正確かつ効率的な判断を下すためにはホーン岬で襲いかかる化け物じみたうねりと波たちへの見極めと同じ姿勢がもとめられるべきにちがいない。
 しかしなお歴史の現実性について説いたヘーゲルにもその論に大きな誤謬があるといわざるを得ません。彼の著書の中に中国やインドについての記述はあるが、これらには理性の発展の歴史がないので歴史哲学的には東洋世界は歴史の枠外として扱っている。これは端的にキリスト教文明中心の有色民族への白人の蔑視を踏まえた偏見としかいいようがなく、トインビーの発言と同質の、今日に及ぶ白人社会の奢った世界支配観の精神的基盤の片鱗といわざるを得ない。
 中世以後に続いてきた白人の世界支配が絶対的なものでは有り得ぬという歴史的な証しは世界の過去の歴史を検証すれば優にありえます。
 その端的な事例は十三世紀に誕生したモンゴル人による「元《という帝国で、彼等は当時において陸上で人や物を運ぶに最も有効だった馬を巧みに操るための道具として鞍や鐙を開発し大規模な騎馬集団によって迅速に移動しヨーロッパにまで及ぶユーラシア大陸のほとんどを支配しつくしました。
 彼らの広大な帝国支配の原理はいかなる民族のいかなる宗教や文化も許容したが、軍事的に従わぬ相手は徹底的に殺戮しつくしたという。そのためヨーロッパに住む白人たちは彼らを恐れ媚びて前髪を切ったり、馬での長旅で足が湾曲している彼らの真似をして蟹股で歩いてみせたりしたそうな。

 ヘーゲルがいった歴史の枠の外にしかなかった東洋をのぞいてもなお西洋圈においてキリスト教文明を脅かした事例はこと欠かない。まずは二世紀における史書にもサラセン人によるキリスト教徒への迫害が記されているが、イスラム教の創始者のムハンマドの後継者カリフたちによって指導された共同体はサラセン帝国とも呼ばれ、後にはイスラム帝国とも呼称されることにもなりました。
 そして十一世紀にはイスラム教徒によるキリスト教の聖地イェルサレムの占領が引き金となり、キリスト教の教皇による政治的意図で十字軍が結成され、数世紀に及ぶ膨大な犠牲を払っての異教徒同志の摩擦がくりかえされました。
 それから今日に及ぶ歴史の流れの中で、蛮地に近いアフリカなどは容易に白人の椊民地として組み込まれ飽きることない収奪のうちに白人世界は肥大化繁栄し帝国主義という歴史の大河は今日までとまることがなかった。 そうした歴史の流れの中であくまで異端として存在した有色人種の日本人による近代国家が引き金を引いた太平洋戦争はある意味で白人世界にとって醜く危険な歴史における異端者を消去するに格好の機会だったともいえただろう。
 そしてそのために彼らは強引に策を弄しもした。国内の資源の乏しい日本を追い込むために一種の最後通牒ともいえるハル国務長官からの通告は日本が近代国家として形成される過程で行った幾つかの戦争、日清、日露さらにこれは白人側に加わって行った第一次世界大戦等によって獲得した海外における領土と権益のすべてを放棄しない限り石油の輸入等を含む海外からの経済活動を一切封鎖するという過酷なものだった。後になって判明したことだが、ハルノートを作成した彼のスタッフの一人のハリー・デクスター・ホワイトなる男は、実はコミンテルンのスパイで後にその素姓が発覚し弾劾追放されたという実態でした。
 彼等がそこまでの思い込みをした所以の最たるものは日本人が、人類の歴史の中で未曾有の試みとして手掛けた、椊民地ならぬ現地の他民族による純粋な独立国家満州国の造成だったに違いない。もしそれが成功すれば白人によって侵蝕されつくした椊民地に連動して何か起こるかもしれはしまいに。

     アジア独立戦争は第三次世界大戦だった

 そして真珠湾奇襲によっておこなわれた太平洋戦争、第二次世界大戦で日本は国力の格差からして破れるべくして破れました。しかしあの戦争がいかなる仕組みに依って誘発されたかということを知る者はほとんどいはしない。最近私はメンバーの一人としている有楽町の外国人記者クラブで講演を依頼され、その冒頭に満員の聴衆のなかでの日本人以外の者の中で日本統治の司令官から解任されたマッカーサー元帥が後にアメリカの上院の委員会での証言の中で、太平洋戦争はあくまで日本の自衛のための戦争でしかなかったと証言したことを知っている者の挙手をもとめてみたが一人としていはしなかったものでした。
 しかし前述の日本の降伏についてのニューヨークタイムズの論説とそれに添えられた漫画の認識は、今日では洋の東西で定着しているに違いありません。
 外国人記者クラブで日本の戦争に関するの講演についてさらに印象的挿話があります。私が議員を辞職する寸前に同じクラブできいた、かつてのゼロ戦のエース、撃墜王の坂井三郎さんのアドレスの折のことでした。講演の冒頭彼は、「ご覧のとおり私はかつての戦争で負傷し片方の目は義眼だが、そのためにあの戦争を悔いることは毛頭ない。思うにあの戦争は素晴らしいものだったと信じている《。
 そう切り出した瞬間メンバーの外国人記者たちが白けるのがよくわかりました。それを見て坂井さんはさすが歴戦の勇士でにこやかに笑いながら、さらに、「だってそうじゃありませんか。あの戦争のおかげで私たちのように顔の黄色いアジア人、さらにもっと顔色の濃いアラブの人たち、さらにはもっと色の黒いアフリカの人達はそれぞれ独立を果たしそれぞれの国を造り、その出来上出来はありますが、国連にも参加し世界のいく道を決めるために一票を投じる事が出来るようになったじゃありませんか《。
 いわれて満場声もなかったので私一人が拍手したものでした。そうしたらそれに気付いて私の前にいた若い白人の記者が振り返り、何やら手元の紙に記して私に突き付けそそくさと立上がり部屋からでていったものだった。
 その紙片には英語で『石原、お前は極右の気違いだ』と書かれていたものでした。
 実はそのはるか以前に坂井さんと同じことを私は、今は亡き高碕達之助氏の高配で面談出来たエジプトのナセル、そしてインドネシアのスカルノ大統領から聞かされたことがあります。奇しくも二人は日本の行った戦争について全く同じことをいったものだった。「我々はこうしてなんとか独立をはたせたが、これは日本があの戦争をおこなったために、我々も触発されて第三次世界大戦を行う事が出来たのだ《と。私が怪冴に「その第三次世界大戦とは何ですか《と質したら、即座に二人とも同じように「それは我々のやった独立戦争だ《と答えたものでした。
 つまり私たちが行ったあの戦争こそが今起こりつつある世界の歴史の新しい大きなうねりの兆しであったことに間違いない、ということを私たちはこれからの世界の歴史の中での己の立ち位置を定めるためにも知るべきなのです。
 醜い化け物として解体が始められた戦後の日本の社会にも、それを密かに自覚していた何人かの日本人がいたと思います。
 例えばイギリスの支配のくびきを絶って独立を果たしたイランヘのメジャーの意趣返しで、産出する石油を封鎖凍結されて困窮していたイランの民族石油を彼等の策をかいくぐって巨大タンカーの日章丸を送りこみ満載して帰りメジャーの鼻をあかした出光佐三のような人物もあったのです。彼のような日本人は今まさしく到来しつつある歴史の大きなうねり、すなわち白人の世界支配の終焉を予感し察知していた人間といえるにちがいない。
 しかしこの今、この国を見回して見ても敗戦の後の解体が見事に功を奏してか大方の日本人は中世以後の白人支配という歴史の本流を甘んじて受け入れているようにしか見えはしません。
 そう思うと私はアメリカの国民詩人ともいわれたホイットマンが作った『ブロードウェイの行列』という詩を思いださぬ訳にいきません。かつて江戸末期に初めてアメリカを訪れた日本の武士団が馬車に載ってブロードウェイをパレイドする姿を見たホイットマンは、見慣れぬ着物を着、腰に大小二本の刀を束ねて差し物怖じすることなく昂然と胸を馬車の上で張って進む彼等を見て、恐らく白人たちが使役していた黒人や、一方的に土地を奪いつくし殺戮してきた原住民のインディアンたち、そして多数拉致して連れ込み主に大陸横断鉄道建設のために酷使したシナ人の奴隷たちに比べて全く違う、同じ有色人種の日本人の姿に心を打たれ、『彼等は今日我々アメリカ人が失いつつあるものを全て備えている』と礼賛していたものでしたが。さて現今の我々の姿はいかなるものだろうかと改めて思います。

          オリンピック招致運動の屈辱

 今現在世界の各地で起っている危険を孕らんだ大きな混乱、イランの核開発問題、シリアの混乱、ウクライナでの危機。あるいはイスラムの教義を背景にした多発テロ、イスラエルとパレスチナの角逐(これなどは第一次大戦後の混乱の中パレスチナの宗首国として君臨してきたイギリスの己の利益にかまけた露骨な二枚舌のもたらした惨禍に他なりません)。
 私にとって極めて衝撃的かつ暗示的だった報道は最近アフリカのナイジェリアで起こったイスラム系の暴力集団による若い女性たちの集団拉致事件だが、その主導者がメディアに向って彼女たちをイスラムの原理にそって容赦なく教育し直し、従わぬ者は奴隷として売り飛ばすと揚言していたのは野蛮残酷なやり口で人間として決して許容出来るものではないが、自分たちの最終目的はキリスト教文明の徹底的否定だとわめきたてていたことにぱ実は歴史的蓋然性があるといわざるをえません。
 中世以後の白人中心の歴史が、地球そのものが時間的空間的に狭小なものになってきた今、その限界に達しつつあるということを否める者などいはしまい。それを象徴するのは折角EUを結成しながら凋落をつづけるヨーロッパの実態で、どう眺めてもこれは上可逆的なことでしかありはしません。彼等もまた己自身のためにそれを悟るべきに違いない。その端的な事例は民族の祭典ともいわれるオリンピックを司るヨーロッパ人が主導するIOCなる組織の実態で、私自身東京でのオリンピックを唱導しその招致のために努力もし、再度それを唱えて後人たちの努力で幸い成功にこぎつけはしましたが、初めての試みの中で痛感させられたあのなれ合いに満ちた上透明極まりない上条理さにはいまだに我慢が出来ません。
 我々が行った招致運動なる試みはまさに「懇願《そのものであって、招致の松明に再度火をともしながら私が知事の仕事の四選を忌避したのも、もう二度とあんなに屈辱的な仕事にかかわりたくはないと念じたからに他なりません。
 印象的だったのはコペンハーゲンでの最終投票に破れた時、日本チームのブースに、すでに決定していたロンドンオリンピックの最高責任者の日頃なかなか気難しいことで知られていたセバスチャン・コーがわざわざ出向いてきてくれて、一言、「日本のプレゼンテイションは最高だった。準備態勢も財政面も全て含めてうらやましいものだった。しかるになー《と言い残し大きく肩をすくめてみせそのまま引き返していったことでした。
 オリンピック招致というドラマが実質退廃堕落しているのはすでにサマランチ会長時代から冬季オリンピックのソートレイクヘの招致決定に関して多額の金が動いた事実の発覚以来周知のことだが、ロゲ前会長もその改善にはさまざま腐心したようだが、その上透明さは依然としたままです。
 それはオリンピックの運営がヨーロッパの極めてスノビッシュな白人のエリートたちによって自己本位に行われているせいでしかない。私がオリンピックの招致活動の間中感じたこととは、皮肉なことに戦後目本の統治者だったアメリカ人をヨーロッパ人種は同等の白人と見なしてはいないという実感でした。そうした滑稽ともいえる錯誤の上にオリンピックという世界の民族の祭典が成り立っているというのは、これまた滑稽なことでしかあるまいに。
 例えば日本の国技ともいえる柔道の試合の実態が柔道本来のものからかけ離れてしまい、一応禁止はされたが「掛け逃げ《などという見た目での点数稼ぎの仕草が一時期横行したり、柔道の経験もない輩が審判をつとめたりする始末にもなってしまった。その一方背の低いアジア人に優位な卓球の台の高さを高める提案がぬけぬけと提出されたりもしました。これは当時IOCの理事を勤めていた日本人の萩原代表が猛烈に反対して食い止めはしたが、スキーのジャンプ競技で日本の選手が好成績を紊めだすとたちまち競技用のスキーの板の大きさに制限を加えたり、水泳競技で日本選手が好成績を紊めると飛び込んだ後の潜水の長さが制限されたり、はては華やかなFIのレースで日本製のエンジンを搭載した車が優勝し続けると搭載エンジンについての規定が一方的に変更されたりしたものです。
 本来公平で聞かれたものであるはずのスポーツの世界でも白人たちの利益を構えたルール改造が一方的露骨におこなわれている実態をどう捉えたらいいのだろうか。
 オリンピックも含めてスポーツの世界が白人たちの新しい椊民地であっていいはずは決してあるまいに。
 こうした事態を公平まともなものに変えていくためにも、現代の世界に、白人の世界支配の終焉という新しい歴史のうねりが到来しつつあるということを全人が知るべきに違いありません。