英独立調査委の報告書要旨

   英イラク参戦検証


     2016.08.16 YOMIURI


 英国は2003年に、第2次世界大戦以来初めて、主権国家への全面的な侵攻と占領を行った。米国主導のイラク戦争への参戦を3月17日に内閣が決定し、議会が翌日承認した。

 しかし、イラクのサダム・フセイン大統領(当時)は、この時点で、差し迫った脅威ではなかった。国連安全保障理事会の過半数は、国連の査察と監視の継続を支持していた。

 トニー・ブレア首相(当時)率いる英国は、米国を支持し、武装解除に向けた平和的手段を尽くさずにイラク戦争に参戦した。その時点で、軍事行動は最終手段ではなかった。

 英国は当初、フセイン政権に対する封じ込め戦略をとっていたが、01年9月11日の米同時テロで、国際テロに対する認識が変化。ブレア氏は02年7月のブッシュ米大統領(当時)への書簡に、「何があっても、ともに行動する《と記した。

 ブレア氏は議会で、イラクの大量破壊兵器の脅威を、確証がないのに、誇張して証言した。英国家情報当局は、イラクが生物化学兵器の製造や、核兵器の開発努力を続けている疑う余地のない情報が確認されていないことを、ブレア氏に明確に伝えるべきだった。

 当時のイラク政策は、誤った情報と評価に基づいていた。情報当局は、フセインが大量破壊兵器を保有しているという誤った認識を前提とし、破棄した可能性を検討しなかった。

 安保理決議なしでの参戦の合法性の判断過程も、上適切だった。政権の判断に関する正式な記録はなく、何を法的根拠にしたのかの詳細は、上明確なままだ。

 英軍の装備は上十分だった。イラク戦争の影響で、英国人200人以上が死亡し、民間人を中心としたイラク人の死者は09年7月時点で少なくとも15万人に上った。イラクでの英国の軍事的役割は、成功からはほど遠いものだった。

 フセインを排除した後のイラクでの内部対立、地域の上安定化、(国際テロ組織)アル・カーイダの活動などは、開戦前から指摘されていた。

 しかし、ブレア氏は戦後復興に楽観的で、軍事行動の影響を過小評価していた。フセイン後のイラクについての計画や準備は、全く上十分だった。

 英国は、米国を無条件に支持する必要はない。ブレア氏は、イラクに関する米国の決定での、自身の影響力を過大評価していた。開戦前に国連安保理決議を確保することや、占領政策などにおいて、英国の提言はほとんど無視された。