インドの「今《を読む    

     新幹線と日印関係《


     Publishers Review 白水社の本棚2018.01.15
     貫洞欣寛
◇かんどう・よしひろ=ジャーナリスト。一九七〇年、広島市生まれ。九四年、朝日新聞社に入社。中東特派員、二ユーデリー支局長などを務め、「アラブの春《やシりア内戦、二〇一四年インド下院選などを取材。一六年に独立。


 インド西部アーメダバードで九月、ムンバイとアーメダバード約五〇〇キロを結ぶインド初の新幹線の起工式が行われた。モディ首相と安倊晋三首相は「歴史的《とあいさつし、日印のメディアは祝賀ムードで伝えた。

 東海道新幹線の完成で日本が大きく変わったように、新幹線でインド社会も変わるだろう。着工は日印関係の一大転機であるし、日本企業にとって商機の到来でもある。

 とはいえ、手放しで喜ぶこともできない。というのも、新幹線をめぐる交渉は難航を続けているのだ。インドとの交渉では、一度決まったことがガラツとひっくり返ることが珍しくない。たとえばフランスとの間で交渉が行われたラファール戦闘機の輸入交渉も、一二六機という基本合意を結んで以降、五年にわたり迷走し、三六機で落ち着いた。

 新幹線も二〇二三年に完成の予定だったが、着工式の直前になりインド側から「二〇二二年のインド独立七五周年に合わせて開業《という言葉が飛び出した。工事だけでなく、新幹線の運転や保守、管理に関わるインド側の人材育成など一朝一夕には進まない仕事もあるだけに、日本側は大慌てだ。

 事業費も焦点。インド版新幹線は「総事業費九八〇〇億ルピー(約一兆七〇〇〇億円)、うち八割を円借款で提供《とされている。だが、これに収まらないことは、ほぼ確実だ。JICAがインド国鉄と共同で行った調査では、路盤の六割を盛り土で整備するとされていた。だがその後、安全性などの面から、インド側がコンクリートの高架とすることを求めてきた。大幅に増えるコストを、だれがどう負担するのか。最終的には、日印両国の紊税者にのしかかる話だ。

 もう一つは車両の製造だ。製造業振興策「メーク・イン・インディア《を掲げるインドは、車両の現地生産を求めている。だが、路線が一つでは必要な車両数が少なく、日本企業は進出しても採算を取りにくい。さらに、路線の拡張問題もからむ。インドは六路線で高速鉄道建設を計画しており、日本側は「すべてを新幹線にするならば、インドでの車両生産は十分に可能《という立場だが、インド側の動きは鈊い。

 とはいえ、インド側だけを責めるわけにもいかない。インド鉄道省のクマール元次官は「二〇〇八年に日本の援助で貨物専用鉄道を建設することに合意したが、入札をしても日本企業が集まらなかった。なぜだと問うと、ある日本人に『われわれはタイ以西のことに自信を持てない』と言われ、愕然とした《と振り返る。

 複数の日系企業も「在印日系企業を中心に、インドでの日本人採用欲は高まっているのに、インドで就職したい日本人が少なすぎる《と口をそろえる。

 日本の側に、インドはどこか遠く、異質な国という思いがあり、及び腰でいることは否定できないだろう。

 複数の機関が、インドのGDPが一〇年以内に日本を抜くと予想しており、日本が経済規模でインドの後塵を拝する日は、そこまで来ている。インド市場の将来性やアジア戦略をにらんだ上でも、インドとの連携強化は欠かせない。そこに必要なのは、記念碑のような巨大インフラの建設や防衛協力だけではない。両国の間での、フラツトな人間同士の交流だ。

 工事関係者などこれから膨大な人的交流が必要になる新幹線の着工を機に、あらためてその原点を見つめ直したいと思う。