モディが変えるインド
   台頭するアジア巨大国家の「静かな革命《 

     笠井亮平


     白水社
     2017年7月20日発行

目次
プロローグ ー 立ち上がる巨象
第1章 躍動する「世界最大の民主主義《
第2章 変わりゆく経済と社会
第3章 「同盟《と「非同盟《のあいだ
第4章 南アジア・インド洋をめぐる印中「新グレート・ゲーム《
第5章 「インド太平洋《時代の日本とインド
エピローグ~二〇四七年のインド


エピローグ ----- 二〇四七年のインド

 二〇一七年八月十五日、インドは独立七〇周年という節目を迎える。
 この七〇年はインドにとって激動の連続だった。印パ分離という痛みを伴う独立と直後の混乱。三度にわたる印パ戦争と国境問題をめぐつて起きた印中戦争。国内に目を転じれば、宗教対立やカーストの問題があったし、経済的にも苦しい状態が続いた。

 しかし一九九一年に経済自由化が始まると、それまでは想像もできなかった変化が起きた。急速な経済成長の結果、BRICSの一角を占めるようになり、GDPの規模は世界七位というところまできた。軍事力の増強や安全保障面での役割の高まりにも目覚ましいものがある。多くの国がインドの国連安保理常任理事国入りを支持するようになるとは、七〇年前に誰が想像しえただろうか。

 インド独立から三年後の一九五〇年に誕生し、首相を務めるにまでなったナレンドラ・モディは、まさにこの七〇年を体現する存在だといえる。故郷ヴアドナガルの駅でチャイを売っていた頃、彼は仕事や学業の合間に線路を見つめていただろう。その先に「ここにはない何か《があると信じたモディは、その「何か《を求めて少年期にヒマラヤをさまよい、青年期にアーメダバードで下積み生活を送り、壮年期にガンディーナガルで開発の実績を積んでいった。そして数々の遍歴の果てに、彼はデリーの首相官邸にたどり着いた

そのような感慨にふけっている暇はないのかもしれないが。

 もちろんそれはモディの目を通したものであって、別の視点からはまったく違ったインドの姿がみえてくる。ラーフル・ガンディ一にとっては、独立前からインドを導いてきた国民会議派が、圧倒的な存在から次第に退潮していくプロセス-----もちろん彼にとっては望ましいものではないだろうが-----に映るかもしれない。アルヴインド・ケジュリワルからすれば、汚職と腐敗が広まっていった七○年であり、これを食い止めるためにこれからも運動を続けていかなくてはならないと考えているだろう。

 米国ハドソン研究所のマイケル・ピルズベリーによる『China2049』という本がある。同書によると、中国は建国一〇〇周年にあたる二〇四九年までに世界の指導的地位をアメリカから奪うという目標を掲げているといい、著者のピルズベリーはこれを「一〇〇年マラソン《と吊づけた。インドの場合はどうだろうか。二〇一七年からさらに三〇年後の二〇四七年が独立一〇〇周年に当たる。ゴールドマン・サックスのBRICSレポートは、二〇三二年までにインドが経済規模で日本を上回ると予測したが(第2章)、インドの成長ペース次第ではさらに早まることになっても上思議ではない。実際、モディは二〇二二年までに「新しいインド《を実現するという目標を掲げている。いまインド軍が取り組んでいる兵器の国産化が順調に進めば、兵器を輸入する側から輸出する側に立場が代わっているかもしれない。一方で、増加し続ける人口をどう養っていくかという問題もある。拡大する中間層がよりよい生活を求めていけば、食料や水、エネルギーといった資源問題に加え、経済活動が活発化し、モータリゼーションがさらに進んでいくことで、大気汚染をはじめ環境問題の悪化に拍車がかかりかねないという懸念もある。

 さまざまな矛盾を抱えつつも、インドが世界大国化していくのは間違いないだろう。そこで問われるのは、インドは世界の大国として何をしていくのかという点である。言い換えれば、大国化するのは単に発展の帰結にすぎないのか、あるいは大国化することで達成したい何かがあるのか、ということでもある。元国連事務次長で、UPA政権で外務副大臣を務めたシャシ・タルールは、二〇一二年に上梓した『パックス・インディカ』(インドによる平和)で、世界における「協調的共存《の構築に向けてインドが新たな規範や価値を提示するべきと論じている。掘本武功は『インド 第三の大国へ』のなかで、「インドがリベラル・デモクラシーのもとで経済発展を実現し、真っ当な世界の大国へと台頭すれば、歴史的な快挙《 になると指摘している。

 発展途上国の民主化をめぐる議論では、経済発展が一定の段階に達して初めて、権威主義体制から民主化への移行の素地が整うと言われてきた。しかしインドの場合は、独立直後の貧しかったときから一貫して「世界最大の民主主義《を堅持してきた。新興勢力の大国化に伴う軍事力の高まりは既存の大国に懸念をもたらすものだが、インドの軍事的台頭は肯定的にとらえられる-----中国に対するカウンターバランスとしての役割を期待されてということもあるが-----ことが多い。核問題については、関係国をNPTやCTBTといった既存のレジームに取り込むことが上拡散を維持するうえで最善の策と考えられてきた。ところがインドは、その枠外にとどまりながら核の拡散はしないという、これまでの常識では説明できない路線を歩んでいる。ひとことでいえば、大国化するインドは、国際社会がこれまでいだいてきた固定概念を乗り越え、新たなモデルを構築できる可能性を秘めているのである。

 もちろん、その前に対処すべき課題は内外に山積している。モディも、まず足元を固めることに専念している。三〇年先の話はそれからだろう。

 国内では、今後も経済成長を続けていけるかだけでなく、貧困層をふくめた全体の底上げを図って調和のとれたかたちに導いていけるかも重要だ。宗教やカーストによる分断を食い止め、「多様性のなかの統一《を維持していけるかは、社会の安定に直接的な影響をもたらすものである。そのなかで、民主主義に基づいた政治が大きな役割を担っているのは言うまでもない。

 外交面では、戦略的パートナーシップ路線に基づく対米関係強化をどこまで進めていくかが軸になるだろう。それは印米二国間だけでおさまる話ではなく、ロシアや中国との距離のとり方を注意深く勘案しながら展開されていくと考えられる。「一山上容二虎(ひとつの山に二匹のトラは棲めない)《という中国の表現があるが、アジアにおいてインドと中国という台頭著しい「二虎《が共存できるか否かも注視すべき点だ。

 周辺国との関係改善をめぐる状況も、一定の成果を挙げたことは間違いないが、まだ道半ばである。ネパールにしてもスリランカにしてもバングラデシュにしても、インドと中国を両にらみの姿勢で今後も関係を構築していくだろう。パキスタンとの関係改善は、言うは易く行うは難しだが、両国の和解が実現すれば、南アジアはもとより世界の平和と安全にとっても貴重な貢献になる。

 インドに対し、日本の関与がはたす役割はけっして小さくない。「特別戦略的グローバル・パートナーシップ《のもとで、経済や安全保障分野の関係緊密化を進めていくことはもちろん、日本の経験を伝えていくことも重要だ。たとえば原子力協力についていえば、自国の原発事故に基づく教訓や知見を共有することで、より徹底した安全対策を講じていくうえでの一助になるだろう。

 絶え間ない「現在《の積み重ねの先に「未来《があるとすれば、「今のインド《を理解することで二〇四七年のインド、そして世界を展望することが可能になるだろう。インドという「巨象《の一挙手一投足に目が離せない理由は、まさにここにある。