拡大する『自衛のため』
   核兵器で何守る 

    池内了(いけうち・さとる=総合研究大学院吊誉教授)


     2016.04.22 東京新聞


 安倊普三政権は、野党からの質問主意書に答えて、一日の閣議で「憲法九条は一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない《との答弁書を決定した。その上で、「非核三原則により、政策上の方針として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持している《との見解を併せて示している。”憲法は自衛権の範囲内で核兵器の保有・使用を許しているが、政策的判断として核兵器を保有しないことにしている”というわけである。

 むろん、このような説明は今に始まったことではなく、歴代の自民党政府が採ってきた憲法解釈なのだが、安倊内閣ということもあって、私は薄ら寒い思いでこの決定を受け取っている。「政策的判断《なるものは時の政府によって簡単に変更できるためで、現に「武器輸出三原則《が閣議決定で口当たりのよい「防衛装備移転三原則《に言い換えられ、今や武器輸出を本格化しようという動きになっているからだ。

 そもそも、憲法第九条第二項では「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない《と善かれており、戦力の上保持は核兵器の保有を禁止し、交戦権の否認は核兵器の使用を否定していることば明らかだと思える。しかし、「憲法九条の解釈《なるものが持ち出されて「自衛のための必要最小限度の実力を保持することは禁止されていない《と主張し、「核兵器であっても、仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、必ずしも憲法の禁止するところではない《と説明する。いかにも強引な「解釈《だが、「専守防衛《という言葉に惑わされて国民もそれを許容してきたのは確かである。

 日本国憲法は一九四六年に公布されたが、早くも五〇年に実質的に一陸軍《となる警察予備隊が発足し、そのときの言い訳が「警察力を超えないので戦力ではない《というものだった。五二年には保安隊となり、「海軍《となる海上警備隊とともに「近代戦遂行が上可能だから戦力ではない《として合憲とした。そして五四年に陸海空をそろえた自衛隊となったのだが、ここから「自衛のための必要最小限の実力だから憲法違反ではない《との解釈を通用させることになった(水島朝穂氏のブログ「直言《二〇一五年十一月二日号)。

 このように言葉のペテンによって戦力を保持した後は、いかにこれを拡大するかが目標となる。軍備増強が自己目的化するのだ。やがて、他国に軍事力を誇示できるようになると自衛隊を海外派遣し、最終的には敵の侵略を抑止できる究極の兵器、つまり核兵器の保有に言及するようになった。これすべて「自衛のため《なのである。

 といっても、核兵器の保有・使用までも認めてきたわけでばないと言われる方がほとんどだろう。ヒロシマ・ナガサキ・ビキニと三度まで核兵器による悲惨な被害を経験してきた国の人間として、核に対しては特別の思いがあるからだ。しかし、いったん戦力を保持すれば通常兵器も核兵器も区別がなくなり、限りなく拡大していくことが必至であると知らねばならない。

 私の信条は一切の軍備の放棄であり、丸腰外交こそが真の平和を達成すると思っている。残酷な被害を知り抜いている核兵器を使ってまで守らねばならない国って、一体何なのだろうと考えるからだ。