超訳 日本国憲法 

    地上彰


    2015年4月20日初版 新潮新書


はじめに

 二〇一四年十二月に行われた衆議院の解散総選挙。突然の解散に、野党はなすすべもなく敗北。民主党と共産党は議席を伸ばしましたが、自民党と公明党の連立政権を脅かす勢力にはなりえませんでした。

 投開票日の夜、私はテレビ東京系列の選挙特番で、安倊晋三首相と中継を結んで質問しました。衆議院で与党三分の二確保となれば、当然のことながら憲法改正が政治日程に上ってきます。その意向があるかどうかを確認したのです。

 当初、安倊首相は、憲法改正には高いハードルがあり、むずかしいという趣旨のことを発言します。あれれ、あんなに憲法改正に強い意欲を示していたこともあるのに、どうしたことか。選挙中、アベノミクスを前面に出し、経済が選挙の最大の争点だと主張していた立場上、選挙が終わった途端に「さあ、次は憲法改正だ《と言い出すのは、まずいとでも考えたのでしょうか。「選挙中は経済に集中し、安保論争や憲法改正の発言は控えた方がいい《と安倊首相に進言していた閣僚がいました。安倊首相は、その人の助言に従っていたのかも知れません。

 しかし、私が、「憲法改正に向けて、一歩一歩進んでいくということですね?《と畳みかけると、安倊首相は、「その通りです《と答えました。この瞬間、自民党本部の開票本部では多数のフラッシュが光りました。この発言を受け、「安倊首相、改憲に意欲《との新聞社の速報も流れました。

 二〇一六年の夏には、参議院選挙が実施されます。ここでもし安倊首相が衆議院も解散して同時選挙に踏み切ったら、何が起きるでしょうか。衆参同時選挙は与党に有利と言われています。野党各党は、それぞれの党の運動にかかりきりになり、野党共闘ができにくくなるからです。「衆参同時選挙で、一気に憲法改正に進むべきだ《と安倊首相に進言している有力政治家も存在します。

 戦後七十年。遂に日本国憲法は、改正に向かうのでしょうか。

 実は、第二次安倊政権の誕生以降のこうした動きに、思わぬ所から発言が飛び出しています。発言の主は天皇陛下でした。

 二〇一三年十二月に八十歳の傘寿を迎えられた天皇陛下は、誕生日に当たっての記者会見で、「特に印象に残っている出来事をお聞かせ下さい《との記者の質問に、「やはり最も印優に残っているのは先の戦争のことです《とお答えになりました。

「この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです《(宮内庁ウェブサイトより。以下の引用も同じ)とも付け加えられました。

 さらに、言葉を選びながら、次のように話されました。



 戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。

「平和と民主主義を、守るべき大切なもの《として、そのために日本国憲法を作ったと明言されたのです。安倊内閣によって憲法改正が政治日程に上りつつあるいま、天皇陛下のお言葉は、安倊政権に対するやんわりとした牽制のようにも聞こえます。

 もちろん、天皇は政治的な発言をすることができません。その一方で、天皇は憲法を守る義務があることが憲法で定められています。天皇陛下は、この憲法擁護義務を確認されただけ、とも受け取れるのですが、あえて憲法に触れられたところに、ご本人の意思を読み取る人も多いことでしょう。

「知日派の米国人の協力も忘れてはならない《と述べられた部分は、「日本国憲法を作り《という部分についてのことなのか、「国土を立て直し、かつ、改善《したことを指されたのか、この文章だけではわかりませんが、安倊首相が、戦後の連合国軍による改革を「戦後レジーム《と呼び、そこからの脱却を志向していることを考えると、これもまた、安倊政権に対する牽制に見えます。

 さらに宮内庁担当の記者は、二〇一三年九月に行われた東京五輪の招致活動で、高円みやひひさこ官妃久子さまが、IOC総会に出席されたことに触れ、「今年は五輪招致活動をめぐる動きなど皇室の活動と政治との関わりについての論議が多く見られましたが、陛下は皇室の立場と活動について、どのようにお考えかお聞かせ下さい《と尋ねました。

 皇族による招致活動は、当時、安倊政権による皇族の政治利用ではないかと問題になったからです。宮内庁の風岡典之長官は、久子さまの出席を認めたことを「苦渋の決断《だったと発言。これに対して菅義偉官房長官が、「皇室の政治利用、官邸からの圧力であるという批判は当たらない《と反論していました。記者は、これについて天皇陛下のお考えを聞いたのです。

 宮内庁長官は、この間題について、「天皇、皇后両陛下も案じられていると推察した《と述べていました。皇族の政治的発言が認められない現行憲法の下で、宮内庁長官が両陛下のお考えを「推察《と表現するときは、実は両陛下の意向を代弁しているというのが常識となっています。そこで、この記者の質問になったのです。これについて、天皇陛下は、次のように答えられました。



 日本国憲法には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。《と規定されています。この条項を遵守することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています。

 しかし、質問にあった五輪招致活動のように、主旨がはっきりうたってあればともかく、問題によっては、国政に関与するのかどうか、判断の難しい場合もあります。そのような場合はできる限り客観的に、また法律的に、考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聴くことにしています。今度の場合、参与も宮内庁長官始め関係者も、この間騒が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました。今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていくつもりです。



 どうでしょうか。招致活動への参加が、「国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました《と発言されています。宮内庁で大きな問題になったことを、天皇陛下自ら認められたのです。

 憲法によって、ご自身の政治的な発言は許されないけれど、「憲法を守る《という義務を強調することが、実は政治的発言にもなりうる。改憲を志向する安倊政権の下で、このような逆説的な現実が生まれています。「憲法を守る《あるいは「憲法を守ろう《と発言することが、「政治的発言《と受け止められる。こうしたことが、最近よくニュースになります。

 たとえば、「憲法を守ろう《という主張が、「政治的な発言《や政治的行動として忌避される事態が各所で起きているのです。「憲法九条を守ろう《という集会が、各地の公共施設で、「政治的な主張の集会には会場を貸せない《と断られています。

 二〇一四年七月には、さいたま市内の公民館が、公民館だよりの排句コーナーに、公民館で活動するサークルが選んだ「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ《の掲載を拒否したことがニュースになりました。

 掲載を拒否した理由について、さいたま市教育委員会の生産学習総合センターは、「世論が二分されているものは、一方の意見だけを載せることはできない。公民館の考えだと誤解されてしまう可能性もある《と説明しました(当時の新聞報道による)。

「憲法を守ろう《という主張が、「公民館の考えだと誤解されてしまう可能性がある《とは、よくも言ったり、です。公務員には、「憲法を守る《ことが義務づけられているのに、です。

 この出来事は、公務員の政治的活動と、市民の表現活動の自由の問題とが混同されています。

 公務員の政治活動は制限されていますが、市民には政治的な表現の自由が保障されています。この自由は、憲法で保障されたもの。そして、公務員には憲法擁護義務があります。つまり、市民の自由な表現活動を保障しないのは、公務員が憲法違反をしているということになるのです。

 また、内容によって掲載できないとなれば、市が市民の表現を「検閲《していると取られかねません。もちろん「検閲《は憲法で禁止されています。

 最高裁判所は一九九五年三月、公共施設を市民団体に貸し出すことを拒否できるのは、施設の規模が適合しない場合や他の希望者が先に予約してしまった場合以外では、「集会の自由の保障の重要性よりも、集会が開かれることによって人の生命、身体または財産が侵害され、公共の安全が搊なわれる危険を回避し、防止する必要性が優越する場合に限られる《という判断を示しています(泉佐野市民会館事件判決)。

 最高裁が、これだけ厳格に集会の自由を保障しているのに、憲法を守る義務のある公務員が、「憲法を守ろう《という主張を「一方的な政治的主張《として認めようとしない。上思議な事態です。

 日本の学校では、憲法の大切さを教えながら、同じ教育委員会の別の部署では、憲法を守ろうとしない。これが日本の現実のようです。

 公務員には、憲法を守る義務があります。憲法は、言論の自由を保障しています。この言論の自由には、「憲法を守れ《と主張することも、「憲法を改正しょう《と主張することも含まれます。多様な一言論が活発に交わされることによって、民主主義は守られる。これが民主主義国家の大原則です。

 憲法の条文を解説し、「憲法は大事ですね《と言っているだけでは、憲法は守れないのです。「憲法を変えるな《という主張も「憲法を変えよう《という意見も保障する。それが本当の意味で憲法の精神を体現することです。

 こう考えると、戦後の日本で、果たして憲法に対する理解は深まってきたのかと、疑問に思わざるをえません。

 これまで憲法に関する数々の書籍が出版されてきましたが、まだまだ一般の理解(公務員の理解、とでも言うべきでしょうか) が進んでいないのではないか。こんな問題意識もあり、改めて、本書を編むことにしました。

 日本国憲法とはどういうものか。正確な理解があってこそ、実りある議論もできるのです。



 自由民主党は、一九五五年の結党以来、「憲法改正《を党是としてきました。長らく日本の与党として政権を運営してきた党が、実は憲法を改正したがっていて、野党の立場の党が、憲法を守ろうとしている。考えてみれば、これは随分とねじれた関係です。どうして、そんなことが続いてきたのでしょうか。

 そこには、困難な憲法改正に突き進むより、与党としての権益を大事にした方がいい。そう考えてきた人たちの存在があります。その結果、日本の政治は、六〇年安保を除いて、それほどの激しい対決がないまま歩んできたという現実があります。

 しかし、憲法改正が困難なら、憲法の改正規定である第九十六条を変えてしまえばいい。こういう考え方が浮上したことから、一時は憲法第九条改正より、第九十六条改正の方がクローズアップされたことがあります。

 しかし、この手法が改憲派学者からも批判を浴びた結果、最近ではすっかり影を潜めました。憲法改正論議にも、はやりすたりがあるのですね。

 日本国憲法をめぐつては、「立憲主義《という言葉も脚光を浴びました。安倊政権が、集団的自衛権に関する従来の憲法解釈を閣議決定で変更したからです。立憲主義とは、権力者に憲法を押し付けること。権力を持たない人々が、権力者に「憲法を守れ《と命令することです。

 集団的自衛権に関しては、従来、内閣の憲法解釈を担当する内閣法制局が、「行使できない《という解釈を取ってきました。それを一内閣が勝手に変更できるのか、として論議になったのです。

 このニュースを理解するためには、しばしば問題になってきた憲法九条をめぐる解釈の歴史を知る必要があります。この本では、現在の憲法が制定された当時に遡って、この経緯をまとめました。

 では、そもそも立憲主義とは何か。本文で詳しく触れますが、実は大日本帝国憲法(いわゆる明治憲法)も、天皇の行為は、憲法の規定にもとづかなくてはならないと定めていました。立憲主義の基本を備えていたのです。

 立憲主義というキーワードから探っていくことでも、憲法という存在への理解が深まるのです。

 憲法の改正論議がある一方で、子どもたちが学校に通う際、公立の小中学校では授業料が無料な上に、教科書も無償で受け取れるなど、国が教育に力を入れているのは、憲法の規定があるからです。

 失業したら、ハローワークに通い、一定期間失業手当(雇用保険)が支払われるのも、憲法が、国民の「勤労の義務《が果たせるように配慮しているからです。

 さまざまな事情で働くことができずに貧困生活に陥っている人が生活保護を受けられるのも、憲法が国民の権利を守っているからです。

 憲法をめぐつて、むずかしい法律用語が飛び交うこともありますが、私たちは、まるで目に見えない空気のように、憲法が保障した社会で生活しています。憲法は、その存在を意識しないで暮らせることが、私たちには幸せなのかも知れません。

 そんな憲法の実体と実態を、学ぶことにしましょう。



 この本では、日本国憲法の原文を紹介しつつ、一読ではわかりにくい箇所について、「超訳《を試みました。双方を読み比べていただければ、憲法特有の言い回しの知識を得ながら、その内容の理解が深まるものと思います。

 さらに、憲法の条文の解説に留まらず、その条文をめぐつて、過去にどんな論戦があったのか、憲法にもとづいて、どんな法律が誕生したのか、等々についても触れました。憲法をめぐる改憲などの論戦を知ることで、いまの憲法の歴史的意味についても理解できるものと考えます。

 本書が、憲法理解の一助になれば、こんなに嬉しいことはありません。

                                       地上彰