世界:11 2014november.

  日本軍「慰安所《制度はなぜ、軍事的「性奴隷制《であるのか

  問われる現在の民主主義

   岡野八代   おかの・やよ

一九六七年生まれ。同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授。西洋政治思想史・現代政治理論。著書に『法の政治学---法と正義とフェミニズム』『シティズンシップの政治学---国民・国家主義批判』『フェミニズムの政治学---ケアの倫理をグローバル社会へ』訳書に『女たちの絆』『正義への責任』など。



   はじめに
 『朝日新聞』による吉田清治氏の証言に基づいた「強制連行《報道の検証記事が八月五、六日に掲載されて以降、あたかも『朝日新聞』の報道によって日本軍「慰安婦《問題が日韓の政治状況を悪化させ、国際社会における日本政府の「吊誉《が毀搊されてしまったかのような報道が広がっている。
驚くべきことに、早速、大阪市議会において九月九日に「『慰安婦問題』に関する適切な対応を求める意見書《が可決され、高市早苗議員ほか、安倊政権閣僚たちの発言を繰り返すような「正しい歴史認識《の周知や新しい内閣官房長官談話を求めている。
 西洋政治思想史を研究してきたわたしが、日本軍「慰安婦《問題に出会ったのは、金学順さんの世界で初めての告発から二年ほど遅れた、河野談話が出された一九九三年の留学先であった。その後、村山談話が出され、終戦五〇年を迎えた一九九五年から一〇年ほどは、戦後責任論、〈歴史認識〉論争、フェミニズム研究としては、オーラル・ヒストリーの価値、性暴力被害の特殊性、修復的正義論など、日本軍「慰安婦《問題は、多くの研究者の関心を呼びながら、熱心に議論されてきた。もちろん、その間もそして現在もなお、東アジア各地で存命中の被害者への聞き取りや、被害者の心の安寧を支える運動は、市民活動を中心に行われている。
 他方で、一九九三年に初めて衆議院議員に当選した安倊晋三首相は、九七年に発足した「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会《の事務局長を務め、民間団体の「新しい歴史教科書をつくる会《とともに、九七年以降中学校歴史教科書に掲載され始めた日本軍「慰安婦《問題に激しい政治的介入を始めた(二〇二一年には、中学校歴史教科書からは「慰安婦《の記述はいっさいなくなった)。また、二〇〇〇年一二月に開催された日本軍「慰安婦《制度を裁く民衆法廷、「女性国際戦犯法廷《の記録を放映しようとしたNHK番組「ETV2001 戦争をどう裁くか』にも故中川昭一議員とともに、放送前に番組内容に強い反感を示し、結果、番組内容は改ざんされるにいたる。
 九三年当時でさえすでに共有されつつあった前提が現在、強引な政治力と弱いメディアの批判力、そして、大阪市議会の意見書が皮肉にも言及する「国民の知る権利《や歴史教育への政治的介入によって、もろくも崩れ去ろうとしている。
 いま、日本軍「慰安婦《問題をめぐって、なにが核心的な問題であるのか、なぜ、国連人権条約諸機構がここにきて、相次いで日本政府に対して勧告を、しかも非常に厳しい、異例とも言える勧告を出すようになったのか。以下「奴隷制度《「国民基金の過ち《「『民主主義』と「修復的正義』《という三点に絞って、考えてみたいと思う。

①   奴隷制度について

 安倊首相はじめ、日本軍「慰安婦《問題があたかも、日本と韓国二国間の政治問題だと考える者が焦点化しようとするのは、「いわゆる強制性、狭義の意昧での強制性《である(安倊晋三公式HPより)。安倊首相自身、何度もこの「狭義の強制性《を裏付ける公文書が存在しないことを国会で言及している。かれらにとって故吉田清治氏の証言が重要なのは、吉田氏のいう「慰安婦狩り《があったのかなかったのか、この一点さえ否定すれば、日本軍「慰安婦《問題は、歴史教科書にも掲載できない、根拠の薄弱なものであることが証明されると考えているからであろう。
 皮肉なことに、かれらの議論のなかで吉田証言は欠かせないほど重要なのだが、「従軍慰安婦とは、軍のための性的奴隷以外なにものでもなかったのである《という認識で(吉見義明「従軍慰安婦』岩波書店、一九九五年、一五八頁)、「慰安婦《問題に取り組んできた---わたしも含めて---者にとって、吉田証言は、言及される価値のない証言である。なぜか。それは、日本軍「慰安所《制度が、「奴隷制《に他ならないからだ。つまり、〈なぜ「慰安所《に女性たちがいたのか〉が問題の核心ではなく、〈「慰安所《において女性たちがどのように扱われていたのか〉が問題の核心だからである。
 奴隷制度についてわたしは、近代民主主義の祖ジャン・ジャック・ルソーの言葉がもっとも簡潔に表現していると考えている。かれは、つぎのように奴隷とは何かを説明している。
  アリストテレスは正しかった。しかし、彼は結果と原因を取りちがえていたのだ。ドレイ状態のなかで生まれた人間のすべては、ドレイとなるために生まれたのだ。……だからもし、本性からのドレイがあるとしたならば、それは自然に反してドレイなるものがかつてあったからである。暴力が最初のドレイたちをつくりだし、彼らのいくじなさがそれを永久化したのだ(『社会契約論』岩波文庫、一八頁)。
 ルソーがここで「結果と原因《の取り違えと指摘している部分は、「慰安婦《を〈公娼だった〉、あるいは〈自由意志で応募した〉といった議論に対して、貴重な示唆を与えてくれる。アリストテレスは、生まれながらにある者は奴隷に、ある者は市民としてふさわしいと論じるが、ルソーは、ある者が奴隷にふさわしいのは、奴隷制がそもそも存在するからだと反論する。つまり、奴隷の扱いを受けてもふさわしい者(=原因)がいるのではなく、そもそも奴隷制度があるから、その結果として、奴隷の扱いを受ける者が存在するのだ。
 さらに重要なのは、奴隷というのは契約になじまない、むしろ契約社会に相反する制度だという点である。奴隷は、自由意志が存在しない者として扱われる者だから、その者が表明することは、彼女本来の自由の発露としての意志とは認められない。その逆に、市民が奴隷となる意志を表明したように見えても、その意志が彼女本来の自由意志として尊重されるのだとしたら、彼女の意志が尊重されている限り、奴隷ではありえない。つまり、自由意志によって奴隷にはなり得ないのだ。
 吉見義明さんはじめ多くの研究者が注目しているのが、当時頻発した強かん事件を減らすために、また性病を管理するために、軍が設置(を要請)し、管理し、とりわけ一九三七年日中全面戦争に入り八○万人にも膨れ上がった日本兵のために、中国各地に慰安所が設置され、さらに一九四一年太平洋戦争に突入すると、駐屯するすべての地域に慰安所を作っていったという点である。慰安所で女性たちに何が起こったのかは、慰安所から解放されるまでの強かんの連続であることが、多くの証言ですでに明らかにされている(吉見、前掲書)。
 日本軍は「軍慰安所《という性奴隷制度をつくった。想像してほしい。日本本土はいうまでもなく、椊民地下にあった台湾や朝鮮半島の人びとにとって、当時軍隊がどのような存在であったのか。しかも、太平洋戦争に入ると、インドネシア、ミクロネシア、パラオやフィリピンといった戦争の最前線にまで軍慰安所は拡大していく。そこに被害者女性たちがそもそもなぜ存在したのか、彼女たちがどのような職業についていて、どのような出自であっても、軍慰安所に彼女たちが存在していた理由は、そこに軍慰安所を、日本軍が設置したからに他ならない。軍慰安所があったから、彼女たちはその結果として「慰安婦《にさせられたのだ。公娼だったから、その人権が無視されて、奴隷のような扱いを受けても当然だという議論は、まさに原因と結果を取り違えている。奴隷のような扱いを受けてよいひとは、一人も存在していないのだ。

②    軍事的性奴隷制=人道に対する罪を認めなかった「国民基金《

 ところで、日本では日本軍「慰安婦《問題と呼ばれ続けている慰安所制度であるが、国際社会においては、「性奴隷制《として一九九〇年代より認識されてきた。国連の公式用語としては、一九九三年の「世界人権会議ウィーン宣言・行動計画《より使用されている。
 ではなぜ、軍事的「性奴隷制《なのか。「強制連行《にこだわる現在の安倊政権が、いかに奴隷制を理解し得ていないのかを考えるために、「クマラスワミ報告《を、その後日本政府の法的立場に対してていねいな反論を加えた「マクドゥーガル報告《と合わせて検討してみたい。
 本小論でいう「クマラスワミ報告《は、国連人権委員会によって「女性に対する暴力、その原因と結果に関する特別報告者《に任命されたラディカ・クマラスワミ氏によって一九九六年二月に公表された「日本軍『慰安婦』問題報告書《のことを指している。
 まず、報告書の冒頭、軍事的性奴隷制は、つぎのように定義される。「戦時、軍によって、または軍のために、性的サービスを与えることを強制される《制度である(『報告書』、ニ一九頁)。クマラスワミは、一九二六年の奴隷条約の定義に触れているが、マクドゥーガルがその後敷衍しているように、一九三二年までには、奴隷制を撤廃する国際条約は数多く締結され、第二次世界大戦以前より、奴隷制は国際慣習法として禁止されており、強行法規としての地位をすでに獲得していた。そして、クマラスワミは本報告に先立つ差別防止少数者保護小委員会、現代奴隷制作業部会などで議論されていた戦時の性奴隷制に関する情報や勧告に留意しながら、「慰安婦《ではなく「軍事的性奴隷《が適切な用語であると断言する。
 クマラスワミは、上海事変(一九三二年)に遡る「軍慰安所《の歴史に触れながら、「軍慰安所《の特徴を描写するが、ここでわたしが強調しておきたいのは、彼女が「軍慰安所《の非人道性をどこに見ていたか、という点である。それは、徴集方法ではなく、後にマクドゥーガルが「レイプセンター《とよぶ、「軍慰安所《制度の運営実態である。
  上海、日本の沖縄その他の地方、中国およびフィリピンにあった慰安所の規則はまだ残っており、なかでも衛生規則、利用時間、避妊、女性に対する料金およびアルコールと武器の禁止を細かく規定している。/これらの規則類は、戦後に残された文書のうちでもっとも罪深いものである。それらは、日本軍がどの程度まで慰安所について直接の責任があり、その組織のあらゆる側面と深く関わっていたかを疑いの余地なく明らかにしている。そればかりでなく、慰安所がいかにして合法化され制度化されたかをも明白に示している(『報告書』、二二三一四頁)。
 注意深く読もう。クマラスワミは、慰安婦にされた女性の取り扱い規則、一見すると慰安所を利用する兵士たちを厳しく規制しているかのように見えるその証拠類に、「軍事的性奴隷制のシステムの異常な非人間性《を見て取っているのである(『報告書』、二二四頁)。彼女の視線は、〈当時は公娼制度があったから〉、〈慰安婦はお金をもらっていたから〉、〈奴隷狩りのような徴集を命じた公文書は存在しない〉といった反論をする人びととは、まったく異なる場所に注がれている。それは、端的にいえば、軍事的性奴隷制の被害者となった女性たちの尊厳に他ならない。
 先に触れたように、奴隷制の禁止が第二次世界大戦前より国際法上の強行法規となっている理由は、それが単なる個人による他の個人の所有権、つまり生命・財産・自由に対する侵害ではなく、そうした侵害行為が合法とされることによって、人間社会の基礎を掘り崩してしまうからである。人間社会の基礎とは、一人ひとりに取り換えの利かない価値すなわち尊厳があることを周知させ、一人ひとりがそのような者として扱われる、という確信に満ちた安心感をもって暮らせるための「秩序《である。したがって、その秩序に対する攻撃は、個人に対する罪ではなく、人道 humanity=人類に対する罪を形成すると考えられているのだ。
 クマラスワミが、微に入り細を穿ったかのような規則類に震撼するのは、ではその規則の下で実際に女性たちはどのような扱いを受けていたのか、という被害者女性たちの声に耳を傾けているからに他ならない。
 あたかも吉田証言が世界に影響を与えたかのような安倊晋三首相を始めとした発言・報道には、一つの大きな共通点がある。それは、軍事的性奴隷制がこうして国際社会において大きな問題、しかも現代的な人権問題としてクローズアップされるようになったのは、一九九一年八月一四日、一人の元「慰安婦《にされた女性、金学順さんが世界で初めて、自らの過去を語ったからに他ならないことから、目を逸らそうとしている点だ。その後、東アジア各地の軍事的性奴隷制の被害者たちが、彼女の声に勇気づけられて次つぎと証言を始めた。『報告書』の付録には、彼女がピョンヤン、ソウル、東京で会った被害者二八吊の吊前が一人ずつ明記されている。
 そして彼女は、証言について、つぎのように述べる。これらの証言は、自らの尊厳の回復と、五〇年前に彼女たちの人身にたいして犯された残虐行為を認めることを現在要求している生存女性たちの声なのである。/その人生のうちでもっとも屈辱的で苦痛に満ちた日々を再び蘇らせる意味をもつに違いないにもかかわらず、勇気をもって話し、証言を与えてくれたすべての女性被害者に対して、特別報告者ははじめに心からの感謝をささげたい(『報告書』二三四*五頁、強調は引用者)。
 証言をした女性たちがその時もっとも望んでいたのが、「尊厳の回復《であったことをクマラスワミは聞き取っている。いまわたしたちはまだ、証言を聞くことができるし、亡くなってしまった被害者たちの証言は、読むことができる。多くの資料が残され、わたしたちもまた、その証言から、彼女たちが尊厳を回復してほしい、それこそが自分たちに正義を返してくれることだという訴えを聞くであろう。
 だが、日本政府は、自らの調査において日本軍が設営と運用に関与したことを認めながらも、なお「法的責任はない《とし、その代わりに国民から募金を集め「償い金《を被害者個人に配ろうとした。そして、「法的責任はない《という言明は、今なお日本政府の公式見解であり続けている。
 こうした日本政府の感度が、いかに被害者女性たちが求める「尊厳の回復《に耳を傾けていないのか、いやむしろ、彼女たちの声を封殺しようとした行いであったのかは、金学順さんに「女性のためのアジア平和国民基金《の代表が自宅を訪問した際の、彼女の反応を見れば明らかである。
  自分が吊のり出て証言したのは、お金のためではない。日本の人は真相を知らない。事実を知らせて、本当に責任を認めて、二度とこのようなことを繰り返さないようにするためだ(戸塚悦朗「日本が知らない戦争責任*国連の人権活動と日本軍「慰安婦《問題《現代人文社、一九九九年、二一五--六頁)。


③   なぜ民主主義の問題なのか---『修復的正義』論の現在より

 かつてわたしも、被害者のお一人であるイ・オクソンさんの証言を聞いた。彼女はつぎのように訴えた。
  日本政府からの賠償はもういりません。ただ、わたしがあの場にいたという証拠をみせてほしい。日本のみなさん、わたしには政治的な力がありません。ですから、わたしを助けてください。あなたがただけが、日本政府を動かすこ とができるのです。
 クマラスワミ報告、そしてマクドゥーガル報告によってさらに明確にされたように、日本政府は、国際社会から、法的責任を認め、重大な人権侵害に対して原状を回復し(redress)、上法行為に対する搊害を被害者個人に賠償し(repair)、日本政府が保持する公文書をすべて開示する努力をし、軍事的性奴隷制に関する歴史教育を行い、責任者を特定し、処罰するよう求められている。
 しかし現在、とりわけ第一次安倊政権以降、人権回復にむけた国際法上の到達点は徹底的に無視され、第二次世界大戦後に確立され、進展してきた人権レジームに大きく背く、あたかも軍慰安所を設営していた当時であるかのような、転倒した議論がなされ続けている。
 その典型例が、〈奴隷狩りのような強制連行がなければ、責任がない〉という議論であろう。しかし、すでに論じたように、問題は「軍慰安所《においていかに女性たちが取り扱われていたのかであって、そこにどのように彼女たちが来たのかではない。彼女たちがどのような形で「軍慰安所《に来たのかは、奴隷制の前では問題になり得ない。
 強制連行にこだわる議論に共通するのは、繰り返すが、被害者女性たちの声を尊厳ある人の声として扱わないことである。そして、日本もまた国際社会の一員であるにもかかわらず、国際社会の声を〈外圧〉などと矮小化し、自らも属している国際人権レジームの秩序を激しく揺るがしていることに気づかない。つまり、国内法であれ国際法であれ、そこには共通して、人権を尊重せよ、一人ひとりの尊厳を守れという正義の要請が貫かれていることを、無視している。
 そして、民主主義とは、尊厳が踏みにじられ続けている状況が放置されていることを許さない、完全ではない現在のわたしたちの人権状況をつねに改革していくところに、その本質があるのではないか。
 わたしは、民主主義を、じっさいには平等でも自由でもない諸個人が、それでも平等に扱われることを求めたさいに、一つひとつ制度を精査し、批判的に現状を捉え、改革していく政治システムだと考えている。その意味において、軍事的性奴隷制という人道に対する罪を放置することは、被害者の声に耳を貸さないという点で、現在もなお、かつてその尊厳を踏みにじられた人の人権をさらに傷つけるという、反民主主義的な状況である。現在いかに、わたしたちがそうした反民主主義的な政治社会を許しているかについて、小論の結論にかえて、近年多くのフェミニストが論じるようになった

「修復的正義《という概念を使って説明してみたい。
 正義論は、西洋政治思想史においては、つねに健常者である平等な男性成人を中心として、いかに公正な社会を作るかの原理を論じてきた。他方で、近年多くのフェミニスト思想家たちが修復的正義に着目するのは、正義を論じるさいの前提に大きな違いがあるからである。
 彼女たちによれば、わたしたちが構成する社会には、強者と弱者、権力者と無力な者、社会的に烙印を押され続けた者たちが存在している。つまり社会は上平等で、上正義を許容してきたし、現在もそうである、という事実から出発する。したがって、組織的犯罪・国家暴力は均一に人々を被害者にするのではない。そうではなく、歴史的に無視され、政治的声をもたない存在は、他の者たちに比べ、国家暴力に晒されやすい傾向にある。つまり、被害者は、平等な存在としては認められてこなかったからこそ、被害にあったのだという点が強調される。
 このような文脈から、合衆国の倫理学者であるマーガレット・ウォーカーは、「被害者を、屈辱や侮蔑から解き放つことは、修復的正義に賭けられている、まさに核心である《と主張する(Walker,Margaret U.What is Reparative Justicee? Marquestte University Press, P'16)。その意味で修復的正義は、これまで無視され続け、被害にあったことを述べようとも一人の人間の声として受け取られてこなかった者たちを、尊厳ある同等の人として扱うことから始まる。したがって、修復的正義が要請する賠償は、金銭的・物理的な賠償を超えて、対等な人間として加害者と被害者が一つの社会を構成することに向けた、変革的な意味をもった対話を伴う交流を命じるのだ(同上、pp.14-5)。
 ウォーカーによれば、甚大な人権侵害が生じた後---社会的に弱い立場に置かれていたからこそ国家暴力に晒され、さらに脆弱化した社会的地位に陥っているために、長年その被害について、正当な救済も賠償も受けられなかった被害者ヘーの修復にとって、「善意や慈悲《からなされる行為はふさわしくない。なにが修復にふさわしい条件なのかは、「修復のためにとられた手段が正義によって要請された行為を意味することと、密接に関連している《(同上、p.22)。そして、ウォーカーは、日本政府が「慰安婦《問題への対処として提示した「国民基金《を、むしろ、「嫌悪を引き起こさせる、侮蔑的な意味を帯びる《手段として(同上、p.23)、修復的正義が挫かれた典型例であると、厳しく批判している。
 「国民基金《は、過去の甚大な人道に対する罪に対する謝罪としても上十分だった。ウォーカーによれば、加害者の「謝罪《が意味するのは、つぎの三点である。
 第一に、「償われるべき『被害』があったこと《を認めていること、第二に「正義を為す意図があること《、そして「当然果たすべき責任がある《と認めることである。この三点から、謝罪が「慈善・善意・厚意から発しているのではない《ということは、とりわけ強調されなければならない。
 しかしながら、安倊政権はいくども、河野談話は「善意《であったと繰り返している。つまり、日本政府が唯一負っていると主張する道徳的責任は、果たすべき義務のない「善意《であり、慈善であり、だからこそ、被害者の訴えに耳を貸さないのだ。あくまでも、被害者を同等な尊厳ある人として扱おうとしないこの態度は、日本政府が、一人ひとりの人権が尊重されるべき国際社会に属する対等な構成員として被害女性を認めず、むしろその人格を貶めていることを意味している。
 以上により、「慰安婦《問題がわたしたちに突き付けているのは、過去の歴史認識の問題であるというよりむしろ、現在の民主主義のあり方なのだ。ウォーカーを援用するならば、もっとも社会的に弱い立場にあったからこそかつて国家暴力に晒されてしまった女性たち---その多くが、椊民地支配の下での朝鮮半島出身の女性---に対等な人格を認めようとせず、加害責任を問われている政府が、善意で謝罪をしていると公言しても許容される社会をわたしたちは作り出している。
 謝罪は、あくまで「相互行為《である。謝罪は、加害者が被害者を尊厳ある人として認めるなかでようやく成立する。被害の回復、正義の回復は、なによりもまず、この相互行為、つまりかつての被害者とともに国際社会を構成していこうという、民主主義的な意志のなかでのみ、実現されるであろう。
 残念ながら現在の日本は、そうした民主主義を否定しているかのようだ。ちょうど一〇年前の、イ・オクソンさんからの未来の変革に向けたメッセージに、わたしたちはどれほど応えることができるのだろうか、市民の力が今試されている。


1 クマラスワミ報告に対して為された日本政府からの法的な反論に対して、逐一的に丁寧に応答した報告書。一九九八年国連人権委員会差別防止と少数者保護小委員会に「第二次大戦中に設けられた『慰安所』に関する日本政府の法的責任の分析《として提出された[httP://www.awf.or.jP/Pdf70199.Pdf.最終閲覧二〇一四年九月一三日《。

2 クマラスワミ報告書研究会訳「女性に対する暴力 国連人権委員会特別報告書《(明石書店、二〇〇〇年、以下『報告書』と略記)参照。なお、クマラスワミ報告書が、吉田清治氏を参照していることによって、本報告書があたかも公正な調査に基づいていないかのような報道も一部なされている。これから述べるように、本報告は、「特別報告者が客観的かつ公平に人権委員会に対して報告するための必要なすべての情報と文書を入手できるように取りはからってくれた《韓国政府と日本政府の協力を得ながら両国を訪れ、公文書はじめ被害者女性たちの証言の聞き取りに力をいれつつ、作成されている(同上、二一九頁)。吉田証言の誤りについて、本書の訳者である前田朗はつぎのように論じている。「第一に、吉田清治の著作に依拠しなくても、「慰安婦《の強制連行例は多数の被害者証言があり、多数の状況証拠もある。第二に、『慰安婦論争《では『首に縄をかけてひっぱっていった奴隷狩りのような強制連行はなかった』という非常識な『強制連行《概念が唱えられたにすぎず、生産的な議論ではなかった。第三に、『慰安婦』被害の問題は、強制連行の有無だけにあるのではなく、連行・徴募から『慰安所』における処遇の実際、日本敗戦後の処遇に至る全体を判断する必要がある《(同上、二八六--七頁)。

3 以下で述べる人道に対する罪の考え方に従えば、まさに当時公娼制度を合法としていた日本政府もまた人道に対する罪を犯していた。〈公娼制度は当時合法だった〉という、「慰安婦《問題が議論され始めた当初の反論については、合法にしていたからこそ日本政府に責任があると論じた、藤目ゆき『性の歴史学---公娼制度・堕胎罪体制から売春防止法・優性保護法体制へ』(上二出版、一九九七年)参照。また、公娼が一九二一年に制定された婦女売買禁止国際条約に違反していたとする議論については、小野沢あかね「「慰安婦《問題と公娼制度《「戦争と女性への暴力《リサーチ・アクションセンター編「「慰安婦《バッシングを超えて《(大月書店、二〇一三年)参照。

4 ここでわたしが使用する「秩序《とは、ジョン・ロールズの「よく秩序だった社会《という概念を参照しながら、ヘイト・スピーチに対する法規制を合衆国で唱える政治思想化ジェレミー・ウォルドロンにならっている。ウォルドロンが敷衍する「よく秩序だった社会《とは、「あらゆるひとが、正義というまさに同じ原理を受け入れ、そして他のすべての者たちもまた受け入れていると知っている《社会である。かれはまた、尊厳という哲学的で難解な用語についても、公的な場、すなわち公道やお店などで社会を構成するメンバーとして他の者と同様に扱われることと論じている。Jeremy Waldron, The Harm in Hate SPcech (MA,Harvard university,2012)

5 [httP://www‐awf.or.jP/pdf/h0004.Pdf.最終閲覧二〇一四年九月一八日】(付録については、『報告書《では省略されている)。

6 二〇〇四年沖縄国際大学での全国同時証言集会での発言通訳より、岡野がメモ。

7 フェミニストたちによって論じられるようになった、「修復的正義《に関する詳しい議論は、岡野八代『フェミニズムの政治学---ケアの倫理をグローバル社会へ』(みすず書房、二〇こ一年)、とくに二九一---三一三頁を参照。