神様と信じられていた 

   悪ガキも奉安殿に最敬礼


    さだじいの戦争かるた
     2016.05.07 東京新聞夕刊

 

 「学校に奉安殿という神社みたいなもんがあってな。中に〝ご真影〃いうて天皇皇后の写真と、教育勅語が入ってんねん。前を通るときは最敬礼や。ははーと頭下げて。ちゃんとやらへんかったら、先生におこられる。

 祝日も学校行くねんで。式があるんや。整列して『宮城に向かって、礼!』いうてな。皇居の方を向いて最敬礼や。

 なんかいうたら最敬礼やったな《

 一九四一(昭和十六)年、さだじいが三年生になるときに、小学校は「国民学校《という吊前に変わった。その年の十二月、日本はアメリカと戦争を始める。戦場で戦う兵だけでなく、国民全員で戦う気持ちが大切だとされた。学校もただ勉強を習うのではなく、国のために一致団結できる「国民《を育てる場所だとされていたのだ。

 祝日の元日、紀元節(今の建国記念の日)、天長節(昭和天皇の誕生日皆、明治節(明治天皇の誕生日)の〝四大節″などには、全校そろって式を行った。ご真影が前にかざられ、先生が教育勅語を読み上げた。

 皇居の方角に頭を下げるのは「宮城遥拝《といって、礼拝みたいなものだ。今の国内だけでなく、そのころ日本が日本の一部だとして支配していた、台湾や朝鮮半島などの人々もやらされた。

 今は国の象徴(シンボル)とされている天皇だが、当時は「現人神《といって、人間の姿をした神様だと信じられていた。国民が神様を尊敬し、したがうのはあたりまえのことだった。