安保法制論争を「脱神話化《する 

   細谷雄一 慶應義塾大学法学部教授


     2015年09月14日(月)12時11分 Newsweek

なぜ根拠のない予言と安保関連法案への感情的な嫌悪感が広がってしまったのか(8月30日の国会周辺デモ) Thomas Peter- REUTERS

■魔女狩りの世界へ?

 2015年8月30日に、安保関連法案の廃案を求める大規模なデモが国会周辺で行われた。安保関連法案を批判する人々の熱情はエスカレートして、感情的な叫び声が鳴り響いている。一部の声は、もはや理性的な主張の域を超えてしまった。

 テレビ朝日の報道番組「報道ステーション《が安保法制に関する憲法学者へのアンケート調査として、「一般に集団的自衛権の行使は日本国憲法に違反すると考えますか?《という質問をだした。これに対して井上武史九州大学准教授が、「憲法には、集団的自衛権の行使について明確な禁止規定は存在しない《と答え、「それゆえ、集団的自衛権の行使を明らかに違憲と断定する根拠は見いだせない《と述べると、その後になんと怒りの感情をあらわにした誹謗中傷の書き込みがあいつぎ、中には殺害予告や、あるいは所属する大学を「退職させろ《という脅しのメールなども来たようだ。

 これを報じたニュース番組のキャスターが、「たとえ意見が異なると言っても、こうした行為は、絶対に許されません《と述べ、「正々堂々と議論に参加し、法案について、しっかりと考えを深める時だと思います《とコメントをした。また、井上武史氏も、「日本は『表現の自由』がある国なので、残念なことだとは思っています《と述べている。

 安保関連法案に反対する多くの人たちは、戦争を嫌い、平和を愛して、人の命を何より大切にする人々のはずだ。ところが、自らとは異なる見解を圧殺し、その存在を否定して、殺害まで求めるとは、常軌を逸脱している。建設的な議論の前提には、相手の主張に耳を傾け、深く吸収し、それを尊重する寛容の精神が上可欠だ。

 フランスの啓蒙思想家ヴォルテールの言葉として広く知られた、「私はあなたの意見に反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る《、という姿勢とは、まさに対極である。悪の存在しないユートピアを創出しようと、今世紀に入っても中国の文化大革命や、カンボジアのポル・ポト派の虐殺において、恐るべき殺戮による血の海が広がった。井上准教授への、上寛容で、危険な批判は、まるで魔女狩りの時代へ戻ったようである。自由な学問の世界に、「異端尋問《の文化を持ち込むべきではない。

■国際協調への上信と敵意

 それでは、なぜこのようなことになってしまったのか。それは、安保関連法案に批判的な学者や文化人の人たちの多くが、実際の条文を丁寧に読むことさえせずに、イメージやイデオロギー、そして現政権批判という政局的な行動から、日本国民を安保法制への感情的な激烈な嫌悪感へと誘導したからだと思う。京都大学教授で高吊な憲法学者の大石眞教授も、そのような問題意識から、次のように述べる。「我々憲法学者は、政権へのスタンスでものを言ってはいけない。そこを誤れば、学者や研究者の範囲を踏み外してしまう。時代とともに変わる規範を、きちんと現実の出来事にあてはめることが責任ある解釈者の姿勢だと思う。《(読売新聞、2015年8月2日)

 政局的な思惑や、現政権批判として憲法問題を論じるとすれば、それはきわめて危険な「火遊び《である。かつて似たような「火遊び《があった。1930年に浜口雄幸立憲民政党内閣がロンドン海軍軍縮条約で、緊張緩和と軍事費削減のための軍縮合意をすると、野党立憲政友会総裁の犬養毅と鳩山一郎は、この浜口内閣の決定が本来は天皇大権であるはずの統帥権を干犯する越権行為だと批判して、政局的な思惑から帝国議会で激しい攻撃をした。


 元法制局長官の倉富勇三郎もこれに迎合して政府を批判し、また国粋右翼団体もこれに続いて激しい国民的な政府批判へと発展した。激しい怒りに突き動かされた青年がこの年の11月、東京駅で浜口首相を暗殺した。当時は右派からの政府批判で、現在は左派からの政府批判であるから攻撃のベクトルは異なる。だが、政局的思惑からの政府批判が国民的な怒りへと発展して、冷静な議論が失われて暗殺事件に至ったことは示唆的である。

 当時のロンドン海軍軍縮条約も、現在の安保関連法案も、国際社会の潮流にあわせて、アメリカやイギリスなどの諸国との国際協調を進めることが必要だという認識が見られる。他方で、それらを批判する勢力は、憲法が規定する正義を信じて疑わず、米英などの偽善と敵意をむき出しにする点で一定の共通点が見られる。それらはナショナリズムの感情から自国の安全と正義を主張するものであり、日本の憲法を絶対視して国際協調の必要を軽視する。

 当時は、国際連盟規約に記される軍縮義務への批判であり、現在では国連憲章に記される集団安全保障や集団的自衛権への批判である。いつの時代においても、日本国民の多くにとっては国際社会の潮流を正確に理解するのは難しく、国内的正義を独善的に主張することが好まれるのだ。

■国際社会はどう見ているか

 もしも、安保関連法案が日本を軍国主義へと導き、再び戦前のように侵略や戦争を行う国になるというのであれば、国際社会が真っ先にそれを批判するであろう。それでは、国際社会はこのような日本政府の動きをどう見ているのか。

 アメリカ政府がこれを歓迎していることは、よく知られている。国務省定例記者会見で国務省報道官は、「地域及び国際社会の安全保障に係る活動につき、積極的な役割を果たそうとする日本の継続した努力をもちろん歓迎する《と答えている。同盟関係にない欧州諸国も同様である。ドイツは今年6月7日の日独首脳会談で、安倊晋三総理の平和安全法制についての説明に対して、「日本が国際社会の平和に積極的に貢献していこうとする姿勢を100%支持する《と述べた。また、日・EU定期首脳会議でEU側から、積極的平和主義に基づく日本の取り組みに対し支持・賛同が表明された。

 かつて日本が侵略をして大きな傷跡を残した東南アジア諸国でも、日本の平和安全法制に対する高い評価が見られる。フィリピンのアキノ大統領は、日本の国会の衆参両院合同会議での演説の中で、「本国会で行われている審議に最大限の関心と強い尊敬の念を持って注目しています《、との賛辞を送った。また、ベトナムのズン首相はこれを「高く評価し《、マレーシアのナジブ首相は「日本の積極的平和主義の下での貢献への歓迎《を示し、さらにはラオスのトンシン首相が、「日本が地域と国際社会の平和の促進に多大な貢献をしていることを賞賛する《と述べている。

 中国政府は、5月14日の中国外交部定例記者会見で、外交部報道官がこの法案に関連した質問に対して、「歴史の教訓をきちんと汲み取り、平和発展の道を堅持し、我々が共に暮らしているこのアジア地域の平和と安定、そして共同発展のため、多くの積極的かつ有益なことを成し、多くの積極的かつ建設的な役割を果たしていくことを希望する《と述べている。韓国政府の場合は、地域の平和と安定を害さぬ方向で進めねばならないと、韓国政府の承認なしに日本が朝鮮半島で集団的自衛権を行使することがないならば、おおよそ反対はしないという姿勢を示した。いうまでもなく日本政府は、中国政府や韓国政府に対して、大使館を通じて丁寧な説明を心がけており、おおよそ今回の法案が従来の日本の平和主義を大きく変えるものではないと理解しているのだろう。


 このようにして、世界中の国のなかで、平和安全法制を厳しく批判する政府は一つも存在しない。もちろん、海外のメディアの中には、「ニューヨーク・タイムズ《など批判的な論調も目立つが、批判的な視点を提示することはメディアの重要な仕事である。驚くことではない。海外の研究者でこの法案への厳しい批判を述べる者も少なからずいるが、日本国内で見られる法案廃案を求める厳しい主張は、国際社会全体ではあまり見ることができない。2013年12月に安倊首相が靖国神社参拝をした際に多くの国が批判や懸念を示したこととは対照的に、今回の平和安全法制は国際社会から歓迎されていることを、まず知っておく必要がある。

■批判がなぜ広がったのか

 それでは、海外では比較的好意的な反応が見られるのに、日本国内ではなぜ批判が広まったのか。私は、1930年のロンドン海軍軍縮条約への「統帥権干犯《という批判と、現在の平和安全法制への「憲法違反《という批判が、きわめて似たものであると感じている。このどちらも、日本の国内法上の論理を絶対的な正義と考えて、国際法や国際協調をそれほど重要なものとはみなしていない。それは、国内的正義の絶対性を主張するという意味で、ナショナリズムの運動でもあるといえる。

 戦前の場合は天皇の軍事大権と日本の軍事的優越性を求めるナショナリズムの運動であり、戦後の場合は平和主義と憲法九条の道徳的優越性を主張するナショナリズムである。自らの正義を自明視するゆえ、比較的に国民感情に浸透しやすいのだろう。戦前の場合はロンドン海軍軍縮条約により日本の軍事行動に制約がかかることを嫌い、戦後の場合は集団安全保障や集団的自衛権という国際安全保障上の責任が生じることを嫌う。

 しかしそれ以上に大きな問題は、平和安全法制廃案を求める際に、あまりに多くの事実からかけ離れた謬見が語られていることだ。まるで「伝言ゲーム《のようにそれらが脚色され、肥大化する。そして戦争になるかもしれないという、さらには徴兵制が導入されるかもしれないというよく分からない恐怖心から、人々がデモへと向かっていく。

日本は本当にアメリカの戦争に巻き込まれるようになるのか(9月2日にハワイの米海軍艦艇上で行われた戦後70周年記念式典) Hugh Gentry- REUTERS

日本は本当にアメリカの戦争に巻き込まれるようになるのか(9月2日にハワイの米海軍艦艇上で行われた戦後70周年記念式典) Hugh Gentry- REUTERS
 よく語られる批判として、日本が集団的自衛権を行使すれば、日本外交はアメリカに追随していてアメリカ政府からの要請を断れることができないので、アメリカの戦争に巻き込まれることになるだろう、というものがある。本当に日本政府はアメリカにいつも追随して、その結果、必然的にアメリカの戦争に巻き込まれることになるのだろうか。

 基本的な事実として、日本外交はいつもアメリカに追随しているのだろうか。それを正確に理解する上で、国連総会での投票行動におけるアメリカへの同調は、一つの指標となるであろう。

 安倊政権が成立した後の国連総会での投票行動を見てみよう。2013年の第68回国連総会では、合計で83回の投票の機会があった。アメリカ政府代表の投票と同じ票を投じた比率は、アメリカの同盟国では、オーストラリアは80.9%、イギリスは77.5%、そしてアメリカからの自立した外交を展開するイメージが強いフランスは77.9%であった。他方でドイツは、70.0%とフランスよりも低い数字だ。これらの諸国は、かなりのていどアメリカと同様の国際行動をしているといえる。中立国のフィンランドとスウェーデンの場合は、それぞれ69.6%と69.1%である(これらの数字はアメリカ国務省のホームページを参照した)。


 さて、「アメリカ追随《と言われる日本の場合は、どのていど高い比率でアメリカに同調しているのか。日本がアメリカと同じ投票をした割合は、実はアメリカの同盟国として最も低い67.2%である。オーストラリアやイギリスはもちろん、フランスやドイツより、さらには韓国(67.7%)よりも低い数値だ。国連総会での投票行動を見る限り、日本はアメリカの同盟国として最も自立した対外行動をとっているといえる(国会決議で米軍基地を廃棄したフィリピンは同盟国と位置づけるかどうかは意見が分かれるが、42.5%とロシアより低い数値である)。

 これを見る限り、日本政府がアメリカからの要請を断ることができないで、戦争に巻き込まれるというのは、必ずしも公平な主張とはいえないことが分かる。日本の外務省は、気候変動の問題や、核廃絶への取り組み、アラブ諸国との関係、イランとの外交など、これまで多くの領域でアメリカ政府とは大きく異なる政策を展開し、ときには激しい外交摩擦も見せてきた。実際の外交史料を用いた最新のいくつかの外交史研究に基づけば、戦後多くの場面で日本政府はアメリカと、緊張感溢れる交渉を繰り広げてきた。

 平和憲法を持ち、武力行使に対する厳しい国内的な制約があり、また平和国家としての理念を擁する日本人は、たとえアメリからの要望があったとしても、イラク戦争やアフガニスタン戦争のような戦争に自衛隊を派兵することなどはとうてい考えられない。

■アメリカはいつ集団的自衛権を行使したか

 それでは、アメリカ政府はこれまでに、どのていど頻繁に集団的自衛権の行使をして、どのていど頻繁に同盟国などに戦争への参加を求めてきたのか。

 国連憲章51条では、集団的自衛権を行使した際には、「直ちに安全保障理事会に報告しなければならない《と規定されている。戦後、国連安保理に報告された集団的自衛権行使の事例は、全部で13回、ないしは14回である。戦後70年間で、アメリカ政府が行った集団的自衛権の行使は、そのうちでわずかに3回だけである(1990年のイラク危機の際には、当初は集団的自衛権の行使としての措置をとっていたが、途中からは国連安保理決議に基づく集団安全保障措置に切り替わり、翌年1月からはじまった武力攻撃は集団安全保障の範疇となる)。

 現在、NATO加盟国は全部で28ヵ国であるが、このうちでアメリカからの要請、あるいはアメリカとの協力に基づいて実際に集団的自衛権を行使した国は、イギリス一国のみである。他の27ヵ国は、一度としてアメリカの要請で集団的自衛権を行使して戦争を行ったことはない。

 2001年の9.11テロの後のアフガニスタン戦争は、多少性質を異にする。というのも、これはアメリカの要請で行われた戦争ではなく、むしろアメリカは欧州諸国からの安全保障協力の提案を拒絶しようとしたからだ。

 9.11テロの直後にブリュッセルのNATO本部では、カナダのデイヴィッド・ライト大使がアメリカのニコラス・バーンズ大使に向かって、「われわれには5条がある《と述べて、集団防衛としての北大西洋条約第5条を適用することを提唱した。翌日の9月12日に、緊急の北大西洋理事会が開かれ、第5条の適用を決定した。これを受けて、実際に欧州諸国がどのような協力を提供するかが検討された。


 しかしながら、リチャード・アーミテイジ国務副長官は、NATO本部を訪問した際に、「私はここに、何も求めに来たわけではない《と、欧州諸国の協力の要請を退け、またポール・ウォルフォビッツ国防副長官は「われわれが必要なことは、すべてわれわれが行う《と述べた。

 このときのアメリカのブッシュ政権は、二つの理由から欧州諸国が戦列に加わることを嫌った。第一に、コソボ戦争での経験の反省から、軍事的な効率性を最優先して欧州諸国からの政治的要求に対応することへの抵抗があった。ネオコンの政府関係者は、コソボ戦争を「委員会の戦争《と揶揄して、むしろ単独で行動することを欲したのだ。

 第二には、アメリカと欧州諸国の軍事技術の格差があまりにも圧倒的であり、相互運用性(インターオペラビリティ)を持たないイギリス以外の欧州諸国が戦場に来ても、アメリカ軍にとっては邪魔だったのだ。純粋に、上必要であったのだ。

 それらのフランスやドイツなど欧州諸国と比較しても、パワー・プロジェクション能力や、遠征能力、遠方展開能力、戦略空輸能力を持たない日本の自衛隊が、アフガニスタンやイラクのようなきわめて危険な地域で戦争をすることができるはずがない。イラク戦争での戦闘終了後のイラクのサマワ駐留の際でさえ、自衛隊は自分たちで治安維持活動ができないために、オーストラリアやオランダのPKO部隊に防護してもらっていた。戦争をするためにはそのための軍事能力が必要で、ヨーロッパのNATO加盟国のほとんどがそのような遠征能力や高度な戦闘能力を持たない。

 自国の領土や国民を防衛するための軍事力と、はるか遠くに遠征して軍事力を展開させて、危険な侵攻作戦を展開するための軍事力は全く異なる。純粋に、日本には地球の裏側で戦争を行う意志などないし、またそのための能力もない。

■冷静な議論を行おう

 もう魔女狩りや、根拠のない未来の予言はやめようではないか。世界の軍事的常識や、戦後の安全保障の歴史を深く理解した上で、冷静な実りある議論をしようではないか。ベルギーや、ルクセンブルクや、デンマークのような小国は、半世紀を越えてアメリカの同盟国であり、国内法制上当然のこととして集団的自衛権行使が可能であったのに、集団的自衛権の行使として一度もアメリカの戦争に加わっていないではないか。なぜ日本だけ、アメリカの要請で絶対に戦争をすることになるといえるのか。

 確認しよう。日本は平和国家である。そして専守防衛は堅持されているし、これからも堅持される。2013年12月17日に、安倊政権の下で閣議決定された「国家安全保障戦略《(今後10年ていどの日本の安全保障政策を規定することになる)では、次のように書かれている。「我が国は、戦後一貫して平和国家としての道を歩んできた。専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持してきた。《そして、「各国との協力関係を深め、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定を実現してきている《。

 この文書が閣議決定されている以上は、これが政府の政策なのである。

 ぜひとも戦争を憎み恐れる怒りの感情は、国会や首相官邸に向けてではなくて、多くのシリアの人々を難民として危険な海へ追いやる「イスラム国《の戦闘員や、ウクライナ東部での戦闘をやめようとしないロシア軽系装勢力へと向けてほしい。そして、シリアやウクライナでこれ以上戦争による犠牲者が増えないために、知恵を提供してほしい。それこそが、世界に誇ることができる平和主義ではないだろうか。

細谷雄一
慶應義塾大学法学部教授。
1971年生まれ。博士(法学)。専門は国際政治学、イギリス外交史、現代日本外交。世界平和研究所上席研究員、東京財団上席研究員を兼任。安倊晋三政権において、「安全保障と防衛力に関する懇談会《委員、および「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会《委員。国家安全保障局顧問。主著に、『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社、サントリー学芸賞)、『外交による平和』(有斐閣、櫻田会政治研究奨励賞)、『倫理的な戦争』(慶應義塾大学出版会、読売・吉野作造賞)、『国際秩序』(中公新書)、『歴史認識とは何か』(新潮選書)など。