「保守主義《乱用に警鐘 再定義

   英に始まる自由の漸進的改良

   宇野重規・東京大教授が著書


    2016.08.30 読売新聞




 政治学者の宇野重規・東大教授が『保守主義とは何か』(中公新書)を著した。英国で生まれた保守主義とその展開を捉え直し、保守主義を自任する人が増えている現代日本の課題を浮き上がらせている。

 いま保守主義を問う理由について、宇野教授は「自分を保守だと言う人が日本にあふれ、かなり乱用されているから《と語る。保守の対抗軸とされてきたリベラルが退潮する中、単なる排外主義や復古主義をも保守主義とする「保守のインフレ《が起きており、「保守を再定義した方が現代政治を語る上で生産的《と説明する。

 そこでまず取り上げるのが、保守主義の始祖とされる18世紀英国の思想家エドマンド・バークだ。だがその生涯をたどると、彼が守ろうとしたのは、1688~89年の吊誉革命で生まれた体制、つまり王権を取り込んだ議会が民衆の意見を代表し、英国人の権利・自由を漸進的に発展させていく政治体制だったことが見えてくる。「自由の原理を漸進的に改良する上で鍵になるのが議会、あえて言えば政党だとバークは考えた。この自由と議会・政党を大切にしない保守主義は、少なくともバーク的な保守主義ではない《と言う。

 だが、なぜ保守主義は自由を必要とするのか。教授によれば、保守主義は、人間とは愚かで間違える生き物だと自覚するが故に、伝統や習慣を尊重する立場。だが伝統や習慣はただ固守すればいいのではなく、過去から受け継ぎながら更新し、未来へ引き渡していかなければならない。その営みを進めるには、「個人の自発性がなければならず、それを許す自由な社会環境がなければいけない《。

 この文脈で英国の保守主義を見た時、存在感を持ってくるのが、T・S・エリオットやG・K・チェスタトンら20世紀前半に活躍した文人だ。文学と保守主義は、実は重なるからだという。「オリジナルな文学は単に奇抜なことを書くことではなく、文学の伝統を踏まえて新しい何かを付け加える。また文学は健全な常識、判断力も現代的に表現する。その意味で文学は保守主義と結びつく《

 一方、本書では日本の保守主義についての視座も示す。日本は敗戦などの「歴史の断絶《があるため、保守主義者が重視する歴史の連続性に欠けるとされる。これに対し、宇野教授は、伊藤博文から陸奥宗光、原敬、牧野伸顕、吉田茂へと続く流れの中に「立憲体制を築き、自由の原理を発展させる連続性が細いながらもある《とし、バーク的な保守主義が成り立つ可能性を示す。言い換えれば、いま力を増しているかにみえる自由を顧みない復古主義的方向とは異なる道が、見えてくるという。
     (文化部 椊田滋)