昭和史のかたち

  [公然化する「ウラの言論《]
  感性と記憶に頼らぬ歴史観を

   保坂正康 


    2018.11.17 毎日新聞 

   
平成という元号は、あと半年ほどで終わる。次の元号がどのようになるのか、人々の関心も日々高まっている。あれこれ予想しての歴史談議も盛んになっているようだ。ところで、この平成という時代は、どのように語り継がれるのだろうか。昭和とは異なった時代様相であるだけに、歴史的には多様な言い方がされるのではないかと思う。

 昭和は「戦争《という語が軸になって語られてきた。いわば戦争の持つ加害性、そして被害性が混在しながら、しかし戦争は二度と繰り返すべきではないとの原則が社会の底流にあり、それが昭和の後期(いわば戦後という語に収斂していたのだが)には強い流れをつくっていた。戦争の記憶と記録が父と母の役目を果たし、そこに教訓ともいうべき子供が生まれていたのである。この教訓がいわば戦後社会の顕教化した言論といえた。私はこれを「オモテの言論《と評し、これに抗する言論を「ウラの言論《というべきではないかと主張してきた。「ウラの言論《というのは大日本帝国時代の軍事主導の言論であり、いわば戦後民主主義に対して距離を置く意見といってもいいだろう。

 むろん、昭和前期の太平洋戦争までは、オモテの言論とウラの言論は逆であった。戦後の平和や自由、民主主義といったオモテの言論は戦前のウラの言論であり、ロにすれば弾圧された。昭和という時代はこの入れ替わりもまた明確であった。戦後のオモテの言論の軸になっていたのは、国会という場であった。あるいはメディアもまたそのような場だった。国会で自民党の右派議員が「日本は侵略したわけではない《と発言すると、その認識自体が問われた。閣僚なら間違いなく罷免となった。逆に戦前の議会では「聖戦、聖戦といって国民を欺いている《と発言した気骨のある、いわば戦前のウラの論理を持つ議員は議会から除吊されている。

 戦前のオモテの言論が戦後になってウラの言論になったのだが、私は近代日本史(特に昭和史)の実証的検証を進めてきて、戦後のウラの言論が細々と限られた集団内部で語られていることを確かめてきた。たとえば、戦友会の中には、戦前のオモテの言論そのままをロにする人たちも決して少なくなかった。「この戦争は米英オランダなどの包囲による自衛戦争だ《とか「占領政策で万邦無比の国体が骨抜きにされた《などの意見を聞きながら、《私は違和感を持たざるを得なかった。さらに、右派の議員に戦前の議会活動をただした時、「自分の本音はあの戦争を聖戦だと思う《と語ったのにも驚かされた。

昭和という時代状況にあっては、戦争につながることには極端なまでに神経質であった。オモテの言論とはそういう心理のもとで成り立っていた。皮膚感覚で戦争を論じることができたからだ。それが「戦争を知る昭和という時代の特徴《であった。戦後社会のオモテの言論とウラの言論の線引きが崩れてきたのは、平成のある時期からである。それがいつごろからか、特定の時間軸を作ることは無理にしても、あれっと思うような状況が少しずつ醸成されていったように思う。国会という場で、公然と村山富市首相談話や小泉純一郎首相談話(2人の談話には侵略戦争の反省とおわびが盛り込まれている)を批判するなかに、戦後社会のウラの言論が見え隠れしていたし、八紘一宇を国会の場で肯定的に持ち出されるに及んでは、昭和の言論地図が平成では入れ替わったのかとの感もしたほどだ。自民党要人の教育勅語への一面的な見方もその例になるであろう。

 正直にいって、こうした発言はかつての特定の集団内部の、いわばウラの言論だったのに、ここまで公然化してくるのには二つの理由があるように思う。一つは軽率さである。正確に知識を持っていれば、このような語の背景も説明して用いるはずだ。もう一つは、こうした議員はウラの言論が使われる団体などの支援を受けているということであろう。いずれにしても昭和後期のオモテの言論は次第に影響力を失っていることに変わりはない。社会の右傾化という語自体、オモテの言論にくみする側の弱音でもあろう。

 このような認識を持って、平成という時代をどのように語り継ぐべきかを考える必要があるのではないか。私はむろん戦後社会のオモテの言論の側に立つ。しかし同時にこの論理の弱さも自覚している。最大の弱さはオモテの言論が感性と記憶を主流にしていたことだ。感性が鈊り、記憶が曖昧になれば力を失うのである。それを防ぐ手立てを持ち得なかったということになる。安易に身を重ねている闇に柱が崩れてきたのである。

 平成の時代空間においての言論地図の混乱は、たった一つの視点で乗り切れるように思うのだ。相対史観とでもいうべき発想で史実を客観化し、因果関係を丁寧に見ていく。昭和のオモテとウラの言論の転換図を超えて個人が自らの中に、前述の父と母が生んだ子供(教訓や知恵)を土台にしたオモテの言論を作り、用いていくのだ。それが平成の市民たり得ていく姿勢である。
             2018・11・17
ほさか・まさやす ノンフィクション作家。次回は12月15日に掲載します。