ヒトラーあなたの中にも
ぼくらと同じ人問 この20年、思考停止のドイツ    専制支配に至る道 

   独映画「帰ってきたヒトラー《原作者、 ティムール・ヴエルメシュ氏


      2016.07.21 読売新聞
 独映画「帰ってきたヒトラー《原作者、 ティムール・ヴエルメシュ氏49
Timur Vermes ジャーナリスト、作家。父はハンガリー系移民。大衆紙記者、ゴーストライターを経て書いた最初の小説が「帰ってきたヒトラー《。次作は娯楽本にしたいという。


 ヒトラーが現代に蘇生したら? こんな奇抜な発想のドイツ映画「帰ってきたヒトラー《が日本でもヒットしている。その原作小説を書いた作家ティムール・ヴュルメシュ氏に独南部ミュンヘンで会った。祖国で依然としてタブー扱いの独裁者を描いたのはなぜか。想いを語ってもらった。(編集委員 鵜原徹也)


 モンスター
 <ヒトラー(*889~1945)は1933年に首相、翌年に緬統になる。全体主義的独裁体制を確立し、39年にポーランドに侵攻し、第2次大戦を引き起こした。45年4月、敗戦直前に自殺した>

 僕は1967年、西ドイツ(当時)のニュルンベルクに生まれ、育った。西独は東西冷戦の前線で、いつ戦争が起きても上思議でなかった。ニュルンベルクには第2次大戦の防空壕が多く残っていた。大人は「戦争になったら防空壕に逃げろ《と繰り返した。一つの防空壕に入れるのは200人、300人。市民は50万人いた。戦争になれば全員は生き残れまい。子供心に上安だった。

 初等中等教育で歴史の授業の3、4割はナチス時代についてだった。ヒトラーは普通の人間とは違うモンスターで、恐るべき悪を犯した。それが授業の基調だった。「なぜ《「どうして《ヒトラーが権力を掌握できたのか。説明はなかった。僕らも問わなかった。ニュルンベルクにナチスが使った建物はいくつもあった。大人たちは「おぞましい《と形容した。でも日曜日にはそうした建物の中庭でテニスに興じていた。

 僕はそういう大人のナチスヘの対し方にうんざりしていた。真実は教えられていない。そんな違和感を抱えて大人になった。

 外国は「ドイツはヒトラーという悪を直視し、過去を誠実に反省している《と受けとめている。私見では、ドイツがヒトラーの時代に正対したのは60年代からの10年間ぐらいだ。当時、ベトナム戦争が勃発。ビートルズが西独にやって来た。学生運動が起きた。若者らは「ヒトラーの時代、何が起き、何をしたのか《と親の世代を問い詰めた。ナチス側の人間も犠牲者もそれまでの沈黙を破り、語り始めた。過去に向き合う重要な証言だった。

 だが、80年代以降、ナチス時代の取り扱いは形骸化する。この10年、20年は思考停止状態と言える。ナチスを直接知る人の多くは他界した。国民の多くはこう考える。「ヒトラーはモンスター。ナチスは悪。でも私は関係ない。生まれてさえいなかった《


  幻想の産物

 2011年春、トルコ南部の海辺の町を休暇で訪れ、古本屋でヒトラーの偽作本を発見した。「そんなバカな《と思いつつ、ひらめいた。僕がヒトラーの偽作を書いたらどうなるか、と。僕にはゴーストライターとして他人の自伝を何冊か書いた経験があった。

 僕はヒトラーをモンスターとは思わない。僕らと同様の人間だと考える。「我々と無縁のモンスターがドイツをさん奪し、大罪を犯した《。そういう紋切り型のとらえ方は僕らを安心させるが、事実ではない。国民の多数がヒトラーを支持した。ヒトラーは強い個性を持ち、演説に説得力があった。人々は自分たちが見たいものをヒトラーに見た。ヒトラーは人々の幻想の産物でもある。

 ヒトラー偽作本は、ヒトラーが一人称で語る体裁にしようと思った。当時ドイツで発禁だったヒトラーの著書「わが闘争《をインターネットで入手し、熟読した。本を書いたことのない人間が、人に笑われないように精いっぱい飾って書いたような古風な文章だ。まねするのは簡単だった。しかも、ヒトラーの考え方は単純。主張を隠すことがない。

 本は半年で書き上げた。出版は12年。主要メディアには黙殺されたが、あっという聞にべストセラーになり、200万部を売った。日本を含む数十か国で翻訳された。映画は15年、ドイツで大ヒットした。

 <「帰ってきたヒトラー《はヒトラーが11年、ベルリンで蘇生し、そっくり芸人と見なされて人気者になり、政治的野心を抱く話>

 「わが闘争《時の頭のままでヒトラーが現代の諸相を見て笑い、読者もー緒に笑う。つまり、読者にもヒトラー的なものがあり、僕らにも危うさがある。それを示すことが本を書く動機でもあった。

 読者の反応は大方が「笑える《、一部は「怖い《。「こんなふざけた本は書くべきでない《、との批判もある。ただ、自らの「内なるヒトラー《を意識する読者は少ない。


 ポピユリスト

 今、気がかりなのは右翼ポピュリスト(大衆迎合)政党「ドイツのための選択肢《の台頭だ。

 <ドイツのための選択肢は13年に結党。最近はシリア難民危機に乗じ、反イスラムの姿勢を明確に打ち出し、支持を広げ ている。欧州統合には懐疑的>

 戦後ドイツには右翼が伸長する土壌はなかった。ところが近年は違う。

 ドイツは欧州随一の経済大国になったが、その影響力をどう使うべきか、自らの役割を見いだしていない。一方、国内では主要政党や既成秩序に対し、人々は信頼を失いつつある。貧富の格差が広がり、大衆は自分たちを犠牲者と見なすようになっている。

 そこに右翼ポピュリズムがつけいる。大衆に対し、「犠牲者であるからこそ、特別な待遇が得られる権利がある《と吹聴する。何事もドイツ人を優先させると約束する。エリートは敵、イスラム系移民も敵で、信頼に値するのは我々「選択肢《だけだと主張する。シリア難民は受け入れるべきでなく、欧州の足を引っ張るギリシャは支援すべきでないと強調する。大衆に怒りを椊えつける。専制支配に至る道だ。

 ヒトラーもポピュリストだった。自らは体制に属さないとして、邪悪な体制を糾弾し、大衆の怒りをあおって、支持された。

 僕は本を書くためにヒトラーの頭の中をのぞき込み、次のことを確信した。ヒトラーにできたことは、ほとんど誰にでもできる、と。

 本を書いた時、「選択肢《は結党以前。僕は「ヒトラーが帰ってくる《差し迫った危険があるとは考えてなかった。だが、今のドイツは危うさを抱えている。


 目をそらさないで

 ドイツはヒトラーを悪魔として扱い、目をそらしてきた。悪をなした人間として目を向け始めたのは今世紀になってからだ。ヴエルメシュ氏の想いは、目をそらしている限りヒトラーは克朊できない、というものだ。その主張は切迫した響きを帯びる。大衆が自らを犠牲者と感じる時、独裁者登場の余地が生じる。(鶴)