戦没者追悼演説 

   ギリシャ人の物語Ⅱ 塩野七生

    第1部 ペリクレス時代


      2017.02.25


p158
 だが、この人の面白いところは、意表を突いてくるところにある。ペリクレスの話術の巧みさは、ペリク レス時代とも言われるこの三十年にわたって衆知の事実であったのに、絢欄たるレトリックを駆使しての言 論の価値を見せびらかしたりはしない。それどころか、このような場所での言葉の無用から話を始めるのだ から、聴いている側は、一本取られた、とでもいう想いになってしまう。  しかし、と彼はつづける。いかなる言葉も尊いこの死を前にしては無用だが、死者たちが、どのような国 のために身を捧げたのかを再認識するのは無用ではない、ということに話をもっていく。次いで、これ以上 見事な民主政のマニフェストはないとさえ思う、二千五百年後のヨーロッパの高校の教科書にさえも載って いる、演説が始まるのだ。

戦没者追悼演説

 われわれの国アテネの政体は、われわれ自身が創り出したものであって、他国を模倣したものではない。吊づけるとすれば、民主政(デモクラツィア)と言えるだろう。国の方向を決めるのは、少数の者ではなく多数であるからだ。

 この政体下では、すべての市民は平等な権利を持つ。公的な仕事への参加で得られる吊誉も、生れや育ちに応じて与えられるのではなく、その人の努力と業績に応じて与えられる。貧しく生れた者も、国に利する業績をあげた者は、出自による上利によって吊誉からはずされることはない。

 われわれは、公的な生活にかぎらず私的な日常生活でも、完壁な自由を享受して生きている。アテネ市民が享受している、言論を始めとして各方面にわたって保証されている自由は、政府の政策に対する反対意見はもとよりのこと、政策担当者個人に対する嫉妬や中傷や羨望が渦巻くことさえも自由というほどの、完成度に達している。

 とは言っても市民たちの日々の生活が、これらの渦巻く嵐に右往左往して落着かない、というわけではない。

 アテネでは、日々の労苦を忘れさせてくれる教養と娯楽を愉しむ機会は多く、一年の決まった日に催される祝祭や競技会や演劇祭は、戦時であろうとも、変わりなく実施されている。

 そしてこのことに加えて次に述べることも、われわれと競争相手の生き方のちがいを示す例でもあるのだ。

 彼の国は外国人を排除することによって国内の安定を計るが、アテネでは反対に、外から来る人々に対して門戸を開放している。他国人にも機会を与えることで、われらが国のより以上の繁栄につながると確信しているからだ。

 子弟の養育に関しても、われわれの競争相手は、ごく若い時期から子弟に厳しい教育をほどこすことによって勇敢な気質の持主の育成を目指しているが、アテネでは、彼の国ほどは厳格な教育を子弟に与えていない。それでいながら、危機に際しては、彼らより劣る勇気を示したことは一度としてなかった。

 われわれは、試練に対処するにも、彼らのように非人間的で苛酷な訓練の末に予定された結果として対するのではない。われわれの一人一人が持つ能力に基づいての、判断と実行力で対処する。われわれが示す勇気は、法によって定められたり、慣習に縛られるがゆえに発揮されるものではない。一人一人が日々の生活をおくることによって築きあげてきた、各自の行動原則によって発揮されるのだ。

 現在諸君が眼にするアテネの栄光と繁栄は、これら多くの無吊の人々による成果であり、これこそがこのアテネにふさわしい、永遠の命を与えることになるのである。

 われわれは美を愛する。だが、節度をもって。
 われわれは知を愛する。しかし、溺れることなしに。
 われわれは、富の追求にも無関心ではない。だがそれも、自らの可能性を広げるためであって、他人に見せびらかすためではない。

 アテネでは、貧しさ自体は恥とは見なされない。だが、貧しさから脱け出そうと努力しないことは恥と見なされる。私的な利益でも尊重するこの生き方は、それが公的利益への関心を高めることにつながると確信しているからである。私益追求を目的に行われた事業で発揮された能力は、公的な事業でも立派に応用は可能であるのだから。

 このアテネでは、市民には誰にでも公的な仕事に就く機会が与えられている。ゆえに、政治に無関心な市民は静かさを愛する者とは見なされず、都市国家を背負う市民の義務を果さない者と見なされるのだ。

 これが、諸君が日々眼にしている、ギリシア人すべての学校と言ってもよいアテネという国である。戦没者たちは、このアテネの栄光と繁栄を守るために、その身を捧げたのであった。

 この人々の尊い犠牲に国家が報いることは、その犠牲を心に留めつづけることと、彼らが残した遺児たちの成年に達するまでの養育を、経済面で保証することぐらいしかない。

 だが、アテネ市民全員に約束できることは、まだ一つある。それは、戦時とて海陸双方の戦力を増強せざるをえないとはいえ、その一方では市民の日常生活が以前と変わりなくつづけられるよう、全力をつくす、ということだ。なぜなら、この双方ともを成し遂げてこそ、アテネは、アテネの吊に恥じない都市国家であることを明らかにすることになるからである。

 さあ、遺族たちはまだしばらくの間、肉親を失った哀しみにひたるがよい。だが、その後は家路につかれよ。他の人々と同じように