非常時の危機対応
   ゴジラにどう立ち向かう

   御厨 貴 青山学院大学 特任教捜


      2016.09.18 読売新聞



 非常時の危機対応  


  ゴジラにどう立ち向かう

 「この国はまだまだやれる《。映画「シン・ゴジラ《の中で、ゴジラ対策の任を負った官邸の政治家・矢口蘭堂のセリフに、ホツとした。今、社会現象となった話題の映画「シン・ゴジラ《はお子様向け娯楽映画ではなく、大人の鑑賞に堪える、いや大人向けの政治映画である。スクリーンに2時間くぎ付けとなること間違いなしだ。

 始まってすぐ、これは3・11東日本大喪災と福島廣発事故、そして日米安全保障条約が絡んだ物論だと誰しも分かるりこの5年間を経験した日本人につきつけられた「非常時にどう立ち向かうか《の問いに、見る者は待ったなしの感覚を持たされる。これ、考えないようにしてきたなと。

 コトが起きても案の定、政治は何も決められない。そもそも突然、東京湾に出現した〝巨大上明生物″の存在を認めるか否かで、政治はあたふたするのだ。何も決められない、様子見だ! いつものことながら。

 政治決定のトライアングル---政治家・有識者・宮邸---は、混乱の極みに陥る。中でも緊急時にトンチンカンな回答しか出せぬ有識者の役立たずぶりが、徹底的にカリカチュアライズされる。多くの政治家たちは、閣議や対策本部で無意味な感慨の吐摩に終始する。しかし〝決定権″を握る政治家は、.いやが応でも現実と対時せざるをえない。

 そこで〝上作為の均衡″を打破するのが、長谷川博己演ずる若き政務の官房副長官矢口蘭堂である。物語はそこから猛烈なスピード感をもって始まる。

 本来管轄が多岐にわたる複合課題は、まずは官僚体制内部の調整に手間取る。〝上作為切均衡″が破られたからと言って、それはすぐには変わらない。

 各省庁のタテワリのかべは、ゴジラといえども破壊できぬ強さを誇るが、〝外圧″への危機対応が進む中、一気に「決断力《が見えてくる。

 そのための人材集結がまた示唆的だ。政治家---官僚システムから疎外され除外された異端者、変わり者たちが各界から呼び出される。彼らは自分のオタク的興味でもってコトにあたる。あたかもゲームを楽しむかのように。そこに国家は意識されない。

 さらにここでは肩書と上下関係は無用だ。人材は育てられるものではない。その社会がどれだけ異端者を抱え込むゆとりを持っているか否か、そのノリシロの大きさこそが必要なのだと分かる。

 登場人物のセリフの言い回しは早いし、場面転換もめまぐるしい。その中でネマワシにこだわる官僚の自嘲的発言や行動様式がマメに描かれていく。このディテールの積み重ねが、デジャブのように3・11直後の日本を記憶から呼びさます。第2次世界大戦後を長く規定した「戦後《を脱して、「災後《の時代が到来したことを再確認できる。



〝共存〟する「災後《体制へ

 ゴジラは成長する。凶暴化するゴジラヘの対応の中で、実は政治家や官僚も成長する。矢口蘭堂はもとより、他の政治家たちも危機に臨んで成長する。そこに「危機の政治過程《が成立するのだ。

 「この国も捨てたもんじゃない《。それは絶望の中で未来を託された政治家の発言だ。「スクラップ・アンド・ビルドでこの国はこれまでも復興してきた《の一語も泣かせる。これは、ベテランの上司だちを想定外のビーム乱射で一挙に失うという、危機に直面した若き政治家たちの成長譚に他ならない。ゴジラの成長に伴い、政治家として成長する矢口蘭堂には男の色気が漂う。

 コトナカレ主義者も変わる。偶然の継承順位で首相臨時代理を命ぜられた政治家は、自他ともに無能とされた人物。その彼が何も出来ぬという自覚故に、あたかも下克上的要求に対し愚直に「決定《をくり返す様は、政策決定機構が極端なまでにそぎ落とされた場合、アイロニカルだが意外に有効かもしれぬと感じられた。もっとも旧陸軍的下克上と化す危険性を常に伴うものでもあるのだが。

 アメリカでは大統領継承順位がネタになることが多い。しかしここで首相の継承順位がはっきちと描かれたのは興味深い。偶然のなせるワザで5位まで決まっているのだが、それも皆死んだらどうするのかとの問題提起的発言。これはけっこうシビアな現実的な問いかけではないか。

 シビアと言えば、日米安保体制もそうだ。アメリカは日本にとって本当の友人であるのかどうか。

 ゴジラ攻撃でも米軍はあくまでもアメリカの安全を第一に見すえている。だからゴジラが世界規模の原子力拡散の脅威になった時、アメリカは「目には目を《の先制攻撃の方針を躊躇なく決める。

 日本はこの決定を受け入れざるをえない。究極の日米関係がここには冷徹に描かれている。

 他方、矢口たちは独自の対ゴジラ作戦を進める。だがそれは成功したのか否か。結局ゴジラの再活性化を防ぎつつも、日本人はゴジラと〝共存″せねばならぬ運命を背負うことになるからだ。

 好ましからざる〝共存”は、原子力発電所と、日本人との緊張関係をそれとなく示唆する。復興の長いプロセスの中で、ゴジラとどう〝共存″したらよいか。政治はそれこそ今度は時間をかけてその間いに答えねばならない。

 ゴジラを語る会、ゴジラを語るブログ、暑い夏をさらに熱くするゴジラ語りの登場であった。しかも3・11から5年、はしなくも春に熊本震災が、そして今夏は日本列島をたび重なる自然災害が襲った。風水害の光景が目に映じるたびに、人はすぐさまゴジラを思い起こす。「戦後か《 「災後か《をずっと考えてきた者にとって、ゴジラの常態化が示唆するものは大きい。

 そこでやはり「災後《の観念は広がっていく。

 実は「戦後《も近代史の中でいくたびか存在した。確かに、日清「戦後《、日露「戦後《、第1次世界大「戦後《、とそれは10年ごとに日本に訪れている。そめたびに「戦後休制《が形作られたのだ。そして最大にしておそらく最後の「戦後《が、あの戦争の終戦を機に始まった。今や71年である。

 この「戦後《のアナロジーを「災後《に適用できぬわけがない。関東大喪「災後《、阪神・淡路大震「災後《、東日本大喪「炎後《、そして熊本震「災後《と来る。東京の場合は、関東大震「災後《から20年たって東京大空襲戦「災後《に結びつく。そう、ゴジラはかつて2度東京を襲ったのだ。自然災害そして戦時災害としてだ。

 ゴジラはいつかやってくる。地震を中心とする自然災害から、今や免れることの出来ぬ日本に、もっと思いを致さねばならぬ。「防災体制《そして「災後体制《を考慮に入れて、政治は進んでいくことになろう。

 災害をすべて予防し克朊することはありえない。だとしたら、ゴジラと〝共存”する体制を政治はめざすことになる。

 そのためには、「あきらめず最後までこの国を見すてずにやろう《。映画が訴えた上退転のメッセージにうなずく以外になかろう。


御厨 貴  みくりや たかし
1951年生まれ。2012年から東京大学吊誉教授。専門は日本政治史。公人へのインタビューで現代史を検証・記録する「オーラル・ヒストリー《の第一人者。