ゲバラたちがみた夢 

   週のはじめに考える


    社説 2015年09月28日(金)東京新聞

 週明け国連総会で、各国首脳の演説が始まります。半世紀前に残る先人の吊演説を再生しながら、為政者が語るべき「理想《に思いを巡らせます。

 諸国間の友好関係を発展させ世界平和を強化する---。国連憲章にうたう「目的《の柱であり、国連主義のいわば基本精神です。
 国連発足七十年の今年、その精神を地で行く大ニュースでした。七月二十日、互いの大使館を五十四年ぶりに再開した米国とキューバの国交回復です。その源流を半世紀前にたどります。両国の政治家が残した伝説の演説から。
 まずは一九六一年一月の対キューバ国交断絶と相前後して、米大統領に就任したジョン・F・ケネディが、その年九月の国連総会で行った演説です。
 「戦争に代わる唯一の方法は、国連を発展させることだ。それは大国だけの関心事ではない。なぜなら、核兵器の惨禍は風と水と恐怖によって拡散され、大国も小国も、富国も貧国も、同盟国も非同盟国も全てをのみ込んでしまうからだ。人類は戦争に終止符を打たねばならない。さもなければ戦争が人類に終止符を打つだろう《
  当時も米国にしては異質なまでに純粋な、国連による非核平和の理想でした。しかし、核廃絶を希求したケネディは皮肉にも六二年十月、米ソ核戦争の寸前までいくキューバ危機に直面。以後もなおキューバと の関係改善を気にかけつつ六三年、志半ばで暗殺の銃弾に倒れていきます。
  もう一人は、五九年のキューバ革命をフィデル・カスト口前国家評議会議長らと共に率いた政治家チエ・ゲバラ。六四年十二月の国連総会演説です。
  「私たちが確かな世界平和を望むなら、強国だけの意向に左右されず、各国相互の歴史的な関係にもよらず、全ての国によって実現されなければならない《

  もう一人の理想主義者

 ゲバラもまた国連主義の高い理想を掲げた演説で、険しい対立相手の米国に代表される大国が、小国を支配する国際政治を公然と批判します。第三世界の国々に、小国も等しく持っている自立の権利に目覚め、大国に立ち向かえと喚起して、大喝采を浴びたのです。しかしその後、カストロ氏とたもとを分かったゲバラは、新たに求めた革命の地ボリビアで六七年、やはり銃弾に倒れます。
 時は流れて四十余年後。埋もれた二人の夢を掘り起こす、もう一人の理想主義者が現れたのは、両国にとって幸運でした。
 二〇〇九年にプラハ演説で「核なき世界《の理想をうたい上げたオバマ米大統領です。自身が最も尊敬するケネディの国連演説を再現したような高揚感でした。
 その「核なき世界《でオバマ氏が○九年のノーベル平和賞に輝いた時、キューバのカスト口前議長が寄せた談話が微妙です。

  痛烈な皮肉と盟友の影

 「この決定は前向きな一歩だと認めよう。ただ、これが意味するのは、一人の米大統領の受賞ということだけではない。歴代の大統領たちが追求してきた大量虐殺の政治に対する批判を見ることができるのだ《
 米大統領にして希有な理想主義者オバマ氏を信認の上で、米国への痛烈な皮肉です。その裏には、大国支配からの解放によって世界平和の理想を説いたゲバラの国連演説が浮かびます。カストロ氏はオバマ氏の出現に、かつての盟友ゲバラの影を見たのかもしれません。
 オバマ大統領にとっても「核なき世界《の理想が遠のく中、政権終盤のレガシー(遣産)政策に、敬愛するケネディ絡みの対キューバ関係を選んだのは、一つの必然だったでしょう。
 こうして、ケネディとゲバラが見た平和の夢は半世紀後、両国の国交回復という形でよみがえりました。逆に、二人の理想の掲示がなければ国交回復はなかったかもしれない。そこに演説の意義もあります。
 二人が今に教えるのは、政治家が歴史に高い理想を掲げなければ何も始まらず、それが死後も何年かかろうと、いつかは実現すると信じることの尊さでしょう。

 駆け引き超えた純粋さ

 今年も国連総会で始まる各国首脳の演説に注目します。冷戦後の世界に混沌が満ちている今だからこそ、私たちは聴きたい。目先の駆け引きを超越した純粋な理想の演説を聴きたいのです。
 理想主義者ゲバラの純粋さをひときわ輝かせた吊言があります。キューバ危機のさなか前衛の青年たちを鼓舞した訓話の一節です。
 「もしも私たちが夢想家のようだと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう。それはできるのだ、と《