(時事小言)新安保法制 新たな脅威への対応は 

    藤原帰一


     2015年9月15日16時30分 朝日新聞


 国会で新安全保障法制が採択されようとしている。安保法制に反対する国民は、国会前を始め、全国各地で集会を続けている。そこで問われているのは、日本の立憲政治の行方である。

 ここでは異なる角度から考えてみたい。新安保法制を実現する根拠として繰り返されてきた主張が、安全保障をめぐる国際環境の変化である。それでは、どのような変化が起こっているのだろうか。

 第一に注目すべきは中国の台頭だろう。米ソ冷戦の時代、旧ソ連のように軍事的に台頭した国も、また日本や旧西ドイツのように経済的に台頭した国もあった。だが、旧ソ連は軍事大国を支える経済の基盤が弱く、日本や西ドイツはどれほど経済的に台頭しても軍事的に米国に依存し、挑戦する立場にはなかった。軍事と経済の両面において台頭し、アメリカの影響力に正面から対峙(たいじ)する位置に立った点において、中国は例外的な存在であると言ってよい。仮想敵国と吊指しで明言してはいないが、新安保法制が台頭する中国の牽制(けんせい)、特に海上自衛隊が米軍と共同で行動する法的な根拠の整備を目的としていることは明らかだろう。

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 とはいえ、もし中国台頭が新安保法制の誘因であるとすれば、わからない点も残る。このコラムでも指摘してきたように、米軍と自衛隊が共同で行動する可能性を中国は以前から想定してきたと考えられるからだ。新たな法制度によって日米共同行動の法的基礎が得られたとしても、中国の行動を変えることは期待できない。

 さらにいえば、現在もっとも必要なのは対中抑止力の強化よりも中国との小規模な軍事紛争が大規模な戦闘に発展するのを阻止することだ。日米が連携して対外的抑止力を強めたところで、尖閣諸島沖合で武力衝突が起こる懸念はなくならない。そして日中両国が仮に武力衝突した場合、米国は同盟国として日本を支援しなければ日本ばかりでなく他の同盟国に対する信頼も失い、結果として対外的な影響力の後退は避けられないが、日本を支援すれば対中戦争に踏み切ることになり、アフガニスタンやイラクへの介入の比ではない代償を強いられる。国防総省はともかく米国政府が必ずしも新安保法制に積極的とは見えない理由は、日本の行動によってアメリカが戦争に巻き込まれてしまう懸念であった。

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 さらに別の問題がある。安全保障環境の変化としてよく取り上げられる東アジア国際関係と異なり、中東・北アフリカ情勢との関わりが論じられることは少ない。こちらの問題はどうだろうか。たとえば、シリアからイラクに広がるIS、いわゆる「イスラム国《を前にして、新安保法制にはどんな役割が期待できるだろうか。

 斬首という残酷な行動に見られるように、ISの行動は中東・北アフリカの人々ばかりでなく日本や米国国民の安全も脅かすものだ。介入を手控え、紛争を放置すれば、ただでさえ膨大な数に上る難民はさらに急増することになるだろう。だが、武力行使に訴えたなら紛争が解決できるわけでもない。問題はISの残虐な暴力ばかりでなく、イラク中部からシリアに広がる無政府状態が背景にあるからだ。さらに、アフガニスタンとイラクへの介入が占領統治において挫折したことに見られるように、無政府状態に代わる選択として欧米諸国が占領しても展望が開けるわけではない。

 これは国家と国家との間の伝統的な戦争とはまるで異なる領域である。介入が難しいからこそ、米国も他の諸国も当初はシリアへの介入を手控えた。危機が拡大し、米国主導の軍事介入が始まって一年になるが、大規模な空爆を繰り返しながらシリア情勢の混乱も難民流出も止まらない。武力行使が必要であり、しかも武力行使の実効性が限られているという状況がここにある。

 中国台頭を巡る国際環境は、必ずしも新しいものではない。同盟と抑止は現実の一部ではあるが、領土紛争のエスカレートをどう阻止するかを考えればわかるように、抑止力を高めれば状況が好転するともいえない。国際環境のなかでむしろ新しいのは、シリア・イラク、さらにリビアからイエメンに広がる、すでに領土を支配する力を失った破綻(はたん)国家の一群と、そこで既に発生した戦闘である。

 新安保法制をめぐる議論は、中国台頭を念頭に置いて展開されることはあっても、破綻国家における平和構築を取り上げることは少なかった。安全保障環境の変化といいながら、武力行使の可能性がもっとも高い課題に関する検討は置き去りにされているのである。これで法案に関する審議が尽くされたと本当にいうことができるのか、疑問を持たざるを得ない。(国際政治学者)

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