(耕論)

  蒸発する欧州の「中道《 

  アンソニー・ギデンズさん、クリストフ・ニューエンさん


   2018年12月8日05時00分朝日新聞



 左右の違いを乗り越えて多数派をつくる「中道《が、欧州の政治の世界で低迷している。英国の欧州連合離脱、メルケル氏の後継を決めるCDU党首選も、自国第一を掲げるポピュリズムや移民問題の影響を受ける。政治はなぜ両極に分かれるのか。英独の識者に聞いた。

 ■デジタル革命、弱まる政治力
 アンソニー・ギデンズさん(英社会学者)

 欧州の中道左派の政治理念は、既存の政府機関と協力しながら、富の再配分や福祉政策を重視して、より人道的な政策にしていく考え方に基づくものです。1990年代から20年、欧米で大きな成功を収めてきた中道左派勢力ですが、いまや蒸発しつつあります。

 デジタル革命が起きていることが最大の理由です。産業革命よりも急速かつ地球規模で広がり、個人生活を含めてあらゆるものに本質的な変化が起きている。通貨の大半は電子マネーになった。製造業は海外移転によって急速に衰退した。ドイツ車の製造工場では自動化されたロボットが車を造っています。英国でいま製造業に従事しているのは全人口の8%、農業は1%に過ぎない。残る大半の人はサービス業に従事しています。

 ツイッターなどSNSを通じて直接民主主義的な動きが広がったことも極めて注目すべき点です。トランプ米大統領がどれだけツイッターを使っているか。デジタル的な直接民主主義の広がりで、旧来型の民主主義の手続きが回避されるようになった。高齢者や貧困層が変化に取り残されて社会への帰属意識が失われ、国の行く末が見えなくなっている。

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 旧来の社会民主主義的な考えを持つ人たちが「上平等を減らそう《と言って、グローバル資本によって生み出された上平等に立ち向かおうとしても非常に難しい。国家にもはやそのような力は備わっていないからです。現代の政治が抱えているジレンマの多くがここにあります。

 労働党で中道左派路線をとったブレア元首相が首相在任中に成し遂げた多くの業績、レガシー(遺産)はイラク戦争を彼が支持したことで崩れ去った。労働党や世界各地の左派政党が作り上げてきた構造が脅かされた要因は、2008年のリーマン・ショックでしょう。中国の台頭といった地政学上の変化も背景に挙げられます。

 英国では、欧州連合(EU)からの離脱を決めた2年前の国民投票以来、離脱をめぐり世論の両極化も進みました。私は5年前の著書「揺れる大欧州《で、EUに加わっていれば、実際の権限や国際問題において、一国でいるより、より大きな主権が得られると主張しました。離脱後の英国はそのことに気づくことになるでしょう。EUは国家主権に、より多くの権限を付け加えるものなのです。

 英国の最大野党労働党のコービン党首は、(EUに批判的な)欧州懐疑派です。SNSで支持を拡大する手法は、多くのポピュリスト政党と同じ。彼の支持者はEU離脱を求める英北部の労働者階級と、残留を望む多くの若者です。英国内の左派はいま、コービン支持の急進左派とそれ以外の中道系国会議員に二分されています。

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 私自身、中道の社会民主主義がこれまでのような形で再興するとは思っていません。労働者階級は劇的に縮小しており、彼らが依存してきた労働組合に、企業や国家の権力に対抗してきた、かつての政治力はありません。再興しうるとすれば、旧来のものを発展させたものではなく、進歩主義的な形をとる新たなものになるでしょう。つまり国際的な視野、コスモポリタン(世界市民)的な価値観を前進させるようなものです。

 若い世代を政治に引き込むことも重要ですが右、左では対応できない別の変化も現れています。例えば女性の解放、ジェンダー(社会的な性)をめぐる関係の変化、途上国の発展などです。これらは(個人の思想や権利を重んじる)リベラルな価値観とかかわります。女性の地位などで進展があるものの解決にほど遠い。筋の通ったデジタル時代の福祉制度もまだ見いだせていません。二十数年前に私たちが右でも左でもない「第三の道《を提唱したとき、構造的な変化を分析し、政策のなかに埋め込む努力をしました。いま一度そうした分析が必要です。

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 1938年生まれ。ブレア英労働党政権(97~2007年)のブレーンとして新たな中道路線「第三の道《を提唱。04年から同党の英貴族院議員。



 ■オープンな社会の展望、示せ
 クリストフ・ニューエンさん(ベルリン自由大学研究員)

 ドイツのメルケル首相は、欧州統合や開かれた社会などリベラルな価値観を重視しながら、現実主義的な政治手法で与党キリスト教民主同盟(CDU)を保守から中道寄りに動かしてきた政治家です。最低賃金制度の導入や同性婚の合法化など、政敵や左派の主張を巧みに取り込み、彼らを弱めてしまう。彼女だからできたことです。後継党首に同じようにまとめる力があるとは限りません。

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 一方で、中道の政治システムは、左右の中道政党が経済の基本政策で一致しています。このため連立の有無にかかわらず、有権者には政策を選ぶ余地がほとんどありません。有権者にすればCDUに入れても、中道左派の社会民主党(SPD)に入れても、実施される政策はあまり変わらないことになる。「新たな中道《を掲げたSPDのシュレーダー政権(98~2005年)は、市場経済を擁護しながら、弱者も保護する政策を目指しました。経済は潤ったが、弱者たちは十分に保護されたとは感じなかった。こういう有権者をどう取り込むかは、CDU、SPD双方の課題となってきました。

 そこにシリアなどから難民の大規模な流入が起きた。自分の声が政治に届かないと感じていた有権者には、難民問題が上満のはけ口になった。本来、多くの異なる価値観について議論すべき政治が、難民問題によって単純化されてしまったのです。難民問題は、社会の緊張を招いた直接の要因というよりは、その前から存在していた根本的な問題を表面化させた引き金というべきでしょう。

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 根本的な問題とは何か。これまで労働者ならSPD、比較的裕福で保守的な有権者はCDUに投票してきた。ところが産業構造の変化で、多くの人は自分が労働者階級だと感じなくなりました。同じ企業内でも高い給与を得る正社員と、上安定な派遣労働者がいるからです。人々は経済的な格差より、移民や同性婚の是非など社会的な価値観をより重視するようになってきた。富の再分配に賛成し、経済的にはリベラルな志向を持つ労働者が、移民受け入れや同性婚に賛成とは限りません。

 「経済格差《問題を軸に対応してきた大政党は、「社会的価値観《という新たな対立軸に対応しきれていません。もし私が移民に反対なら、新興右翼政党AfD(ドイツのための選択肢)に、開かれた社会を望むなら「緑の党《に入れるでしょう。有権者の関心に応じて政党が分裂すれば、自分の意見が反映されると、より多くの人が感じるかもしれません。でも、次の段階でその少数政党が連立政権をつくるには、政策の妥協が必要です。人々は再び上満を感じることになります。

 昨年のフランス大統領選で既成政党を再編して中道勢力をまとめたマクロン大統領について、私の見方は悲観的です。社会の問題で進歩的な立場を取り、新自由主義的な経済改革を進めるやり方が激しい反発を呼んでいる。ドイツや英国がかつて「第三の道《でたどった道です。「エリート層は庶民の上安を理解していない《と訴えるポピュリスト政治家に格好の材料を与えることになる。

 政治の対立軸は、経済政策における左右の対立から、外国人や移民に社会を開くか閉じるか、に移っている。欧州の政党はいま再編の過渡期にあります。21世紀の中道政党としてCDU、SPDに求められるのは、公正でオープンな社会とはどのようなものか、筋の通った展望を示すことです。政治が左右に両極化する中、報道の自由、法の支配、少数者の保護などが脅かされないよう、自由な民主主義を維持することも必要です。ドイツでは大政党が40%も得票する時代はもう来ないでしょう。より多くの政党が生まれ、政治はより複雑なものになるはずです。

 (聞き手 いずれもヨーロッパ総局長・石合力)

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 1983年生まれ。旧東ドイツに移住したベトナム人の父を持つ移民2世。米ノースウェスタン大学で博士号(政治学)。専門は欧州・ドイツ政治。