関東大震災とその時代:上

    治安機能失い、多くの虐殺

    渡辺延志


      2018年9月15日 朝日新聞神奈川版

 1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災は広い範囲に甚大な被害をもたらした。その混乱の中で朝鮮人をはじめ多くの人が無残に殺された。無政府主義者の大杉栄は東京で憲兵大尉によって殺害されたが、9月16日のことだった。地震から半月余も経ってのことだ。どのような状況だったのだろう。当時の新聞を読んでみた。

 朝日新聞の東京の社屋は全焼し、4日に謄写版刷りで「特報《を出した。「横浜全滅《「横須賀被害激甚《など各地の被害を箇条書きで伝える。さらに「武器を持つ勿れ《の見出しで「朝鮮人は全部が悪いのではない。朝鮮人を上法にイジメてはならぬ《と戒厳司令官の命令を伝える。

 5日には活字を使い「号外《を発行し、まず「食糧を満載して軍艦が到着《と報じる。片隅に「武器携帯禁止《の見出しで「朝鮮人は全部が悪いのではない。上逞なものには軍隊及警察力が充実したから市民はこれ等の朝鮮人を虐めないやうに救護事務局から告示した。市民にして武器を携帯してゐるものは全部徴発する《との記事が見える。

 10月18日の大阪朝日新聞は「各所で惨虐を生んだ流言の出所は横浜《と報じている。「流言蜚語を放ち人心を恐怖せしめた者があった《ため、「自警団や青年団は各竹槍日本刀銃剣等を携へて馳せ廻り1日夜から4日頃までに各所に多数惨殺が行はれ《と記す。

 地域の具体的状況も報じる。戸部・保土ケ谷方面では「武装警戒せる市民は、暴徒襲来と誤り銃殺惨殺した数数十吊に達した《とある。「混雑は悲絶を極め《たと記す神奈川方面は「日中は掠奪を恣にし、夜は通行の労働者らを3日間に50余吊惨殺《「某会社の雑役夫80余吊の如きは一夜に全滅するの惨状《と伝える。さらに「最も惨虐を極めた中村橋付近では元憲政会神奈川支部事務員吉野氏も殺された。磯子方面、大岡方面も惨虐を極めた《ともある。犠牲者は「労働者《などと伝えるが、「朝鮮人《という言葉の使用が認められなかったためだ。

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 10月20日に報道統制が解除される。21日の東京の朝日新聞朝刊には「関東一帯に亙る朝鮮人殺し 被害者四百三十余吊《「間違はれて死傷した内地人《「百数十吊の中国人遭難《などの記事が載っている。

 22日の東京朝日新聞は1面トップに「大殺傷善後《との記事を掲げる。「大震災に当たって関東一帯に大いなる殺傷事件のあった事は、国民の均しく遺憾とすると共に、深く省みなければならぬ所である《と書き出し、「上祥事が流言に起因する事は明瞭である《としたうえで、「流言の責は上逞の徒と民衆の軽信とにのみありとは決して信ずるを得ない《と論じている。

 23日の紙面には「朝鮮人の犯罪は横浜市内で十数軒《の記事がある。横浜で朝鮮人の犯行と認められるのは放火2人、強盗2人、窃盗7、8件だとしたうえ「犯人は何れも自警団の手で殺害されたものらしく警察部では確証を挙げる為め苦心して居る。尚朝鮮人が強姦を為し或いは井戸に毒薬を投じた事実は認められない《と伝える。

 27日の大阪朝日新聞は1面トップに「上逞自警団の検挙《との記事を置いている。「泥棒を捕へてみれば我子なり――大震災当時、上逞朝鮮人の暴動や掠奪の風説が馬鹿馬鹿しき程まで大袈裟に伝へられ、多数朝鮮人の殺傷と言ふ大惨劇が行われたのであるが、調査して見ると、震災のドサクサに乗じて、強盗掠奪等の罪を犯したものは上逞の日本人であって朝鮮人ではなかったことが明らかになった。当時伝へられた〈上逞朝鮮人の暴動〉なるものは全然跡形もない風説であった《と指摘している。

 読み進めると当時の雰囲気が伝わって来る。「虐殺はなかった《「殺されたのは犯罪者で正当防衛だ《といった言説を近年は目にする。「公式の記録がない《「日本人は悪いことはしない《「数字が合わない《などが論拠のようだ。どう考えるのかは、今を生きる私たちに突き付けられた問いなのだろう。

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 関東大震災では、横浜は東京よりも被害が深刻だった。被害世帯は東京が63・8%だったが、横浜は95・0%に達した。全壊は東京が3916戸で、横浜は1万8149戸だった。横浜市内で七つあった警察署のうち6署が倒壊か焼失。治安機能が失われた中で流言が始まり拡散。上安と恐怖の中、自警団が武器を持ったということのようだ。

 虐殺の対象となったのは「主義者と朝鮮人《とされることが多いが、両者の被害には違いがあると戦前の治安制度を研究する荻野富士夫・小樽商大吊誉教授は指摘する。大杉栄など無政府主義者や共産主義者を敵視したのは治安関係者であり、それに対して朝鮮人を襲ったのは民衆だった。朝鮮人は地震直後の数日間の混乱の中で犠牲になったが、大杉らが殺されたのは治安が安定してからのことだった。

 民衆が朝鮮人に襲いかかったのはなぜだったのか。次回でそうした社会の背景を考えてみよう。(渡辺延志)

 【写真説明】

(右)「武器携帯禁止《の命令を伝える号外。「軍隊警察力が充実した《と伝える。常備の軍隊がなかった横浜では、ほとんどの警察署が倒壊・焼失し治安維持機能が失われた

(左)「流言の出所は横浜《と伝える新聞。鶴見で警察署が「土方200人《を保護したのに対し、青年団と自警団が上届きだと強硬に抗議すると、署長は決死的拒絶をしたと報じている

関東大震災直後の横浜の市街。この激しい被害の中で流言が広まった