習近平氏の「中国の夢《、千年間のGDPで精査  

   The Economist


     2017/7/1 6:30 日経

 中国の習近平国家主席は、世界で最も豊かだった、アヘン戦争以前の中国を取り戻すとの「夢《を掲げる。しかし、中国は19世紀どころか14世紀には欧州主要国に追い抜かれていたとする研究が発表された。習氏はかつての豊かさではなく貧困縮小を目標にするのがよい。共産党には実績があるし、実現可能な目標だ。

 中国の習近平国家主席は、「中国の夢《という言葉を好んで口にする。「中華民族の偉大なる復興《を成し遂げることだという。

 習氏にとって中国の夢は、共産党による指導の下で中国が、世界で最も豊かで最も強い国に再びなることを意味する。「屈辱の100年《が始まる前のようにだ。屈辱の100年とは、1839~42年に起きた第1次アヘン戦争以降の100年間のこと。中国は列強により経済を蹂躙(じゅうりん)され、領土を奪われた。

 習氏の理屈を展開すると、中国共産党がこの国を統治する正統性は、この復興が成し遂げられるか否かにかかっている。

 だが、もし1839年以前の中国が、世界で最も豊かな国でなかったとしたらどうだろう。中国が欧州に追い抜かれたのが175年前ではなく、675年前だったとしたら。それでも、習氏のいう中国の夢はこれほど人を引きつける力を持つだろうか。

■14世紀、欧州に追いつかれた

 国際的な経済史学者のグループが、この点について新たな研究を発表した*。共同研究に参加したのは、英オックスフォード大学のスティーブン・ブロードベリー氏、中国・北京大学の管漢暉氏、北京にある清華大学の李稻葵氏の3氏。この研究によると、中国は実は、数百年前から欧州に後れを取っていたという。

*=2017年4月に発表された"China, Europe and the Great Divergence: A Study in Historical National Accounting, 980-1850"を指す

中国と欧州主要国、日本のGDP推移。1400年には中国のGDPは欧州諸国に抜かれた
出所:The Economist/
  
中国と欧州主要国、日本のGDP推移。1400年には中国のGDPは欧州諸国に抜かれた
出所:The Economist/"China, Europe and the Great Divergence" by S. Broadberry, H. Guan and D.D. Li



 3氏は、西暦1000年前後以降の中国、英国(イングランド)、オランダ(ホラント地方)、イタリア、日本の1人当たり国内総生産(GDP)の水準を比較した。その結果、中国がほかの国々よりも豊かだったのは、最初の100年間、つまり11世紀だけだったことが分かった。中国はそれ以前の時代に、火薬、羅針盤、活版印刷、紙幣、溶鉱炉を発明している。

 ブロードベリー氏らによると、西暦1300年までにまずイタリアが、1400年までにはホラントとイングランドが中国に追いついた。1800年ごろには日本が中国を追い抜き、アジアで最も豊かな国となった。

 中国の1人当たりGDPは、清朝時代(1644~1912年)に極端に低下した。1620年には980年とほぼ同水準だったが、1840年にはその3分の2に低下した。

■過去のGDPを推定する

 この研究成果は、従来の常識に反するものだ。これまでは一般に、中国と欧州の人々の生活水準は、18世紀後半に産業革命が始まるまで数百年にわたり同程度だったと考えられてきた。歴史学者らはこの18世紀の分岐点を、しばしば「大分岐《と呼ぶ。この見方は、米シカゴ大学の歴史学者ケネス・ポメランツ氏が広めたものだ。中国共産党の考え方は、この見方によって補強されている。


 1000年前のGDPを算出することなど、かつてはできなかった。最初にこれを試みたのは、英経済史学者のアンガス・マディソン氏だった。

 ブロードベリー氏らの研究は、地方の役所の記録や個人の文書を多用して国全体の経済を推定し、マディソン氏よりも詳細な結論を導いた。この技法を用いた最初の研究は、英国のGDPの歴史的推移を推算したもので、2008年に発表された。

 その後、オランダとイタリアについての研究が立て続けに発表され、このほど中国のGDPに関する成果が発表されるに至った。

 中国のGDPを推定するのに用いたデータの質については疑問が残る。英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のケント・デング氏とパトリック・オブライエン氏は最近の研究の中で、中国のデータはあまりに断片的すぎると指摘している。

 異なる国の生活水準を比較するのは今日でさえ容易でない。正確な統計がはるかに少ない遠い過去にさかのぼって比較するのが困難であることは言うまでもないだろう。

 ブロードベリー氏はこれに対し、中国の歴史資料の質が、中世のイングランドについて入手できる資料に比べて劣ることはないと主張する。また、皇帝が治めていた時代の中国も、近代初期の欧州も、価値の単位として銀を用いていたため、その分、比較がしやすいと述べている。

■産業革命以前から

 しかしなお、規模の違いという重要な問題が残る。イタリアやホラントは、14~15世紀の欧州で最も豊かな地域だった。これらの地域と中国を比べるのなら、中国全体ではなく、中国の中で最も豊かだった長江(揚子江)河口のデルタ地帯、つまり現代の上海周辺地域と比べるほうが適切だろう。

 そのような調整を加えてみても、1800年にはやはり、英国とオランダのほうが長江デルタ地帯よりも豊かだった。ただし、これらの国が長江デルタを追い抜いたのは、(中国全体を追い抜いた1400年ではなく)1700年ごろだったことが分かった。これだと、大分岐が18世紀に起こったとするポメランツ氏の見解と大きくは違わない。

 しかし、それでもなお、中国と欧州との分岐の過程が産業革命以前から始まっていたということはできる。結局、欧州の豊かさと中国の貧しさが産業化によって生じたとは説明できないことになる。両地域におけるこの違いは、制度的な違いを反映しているはずだ。

 習氏が正統性の根拠を歴史に求めたいのなら、別の面に目を向けるほうがよい。貧困を減少させた点だ。ブロードベリー氏らの主張が正しいとしたら、中国の農民は西暦1000年から1000年近くにわたり立場を弱め続け、困窮にあえいできた。しかし、習氏が現在率いる共産党は、地方の貧困を大幅に縮小した。さらに、2020年までに貧困を完全に消し去ることを目指している。この夢は実現が可能だ。

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