側近が語るオバマ外交  

   オバマ外交の設計者、ベン・ローズさん


      2016年12月13日05時00分 ASAHI

(インタビュー)


 米オバマ政権の8年間がまもなく終わる。5月には歴史的な広島訪問を実現し、今月下旬には安倊晋三首相と共に真珠湾を訪れる大統領が目指してきたものは何なのか。オバマ外交の「設計者《であり、大統領と「一心同体《といわれる30代の最側近、ベン・ローズ大統領副補佐官(国家安全保障担当)に聞く。

「核なき世界 模索の8年《

 ――オバマ大統領が今年5月に広島訪問したときから、ホワイトハウス内で「安倊首相の真珠湾訪問がありうる《と指摘する声を聞いたことがありました。

 「その可能性を私たちは認識していました。しかし、私たちは、(大統領の広島訪問と、首相の真珠湾訪問の)二つが連関しないよう、非常に注意を払ってきました。広島訪問は大統領自身の決断であるのと同様に、真珠湾訪問は安倊首相が決めることだからです《

 ――「可能性を認識していた《とは?

 「日本は今年、主要7カ国(G7)会合の議長国でした。一方、今年は真珠湾攻撃から75周年。そうしたことが(それぞれの)訪問をより自然にしたのです。(11月の)アジア太平洋経済協力会議で両首脳はその話をし、その時点で真珠湾訪問の決断がなされました《

 ――日米間ではこの数年、水面下で大統領の広島訪問と首相の真珠湾訪問がセットで議論されてきた経緯があります。しかし今回、オバマ大統領はその連関を断ち、訪問を決めたように見えました。

 「ええ、その通りです。私たちは、何があろうとも広島に行くのだ、ということを明確にしたかったのです。一種の取引のように見られたくないと思っていました。オバマ大統領が広島を訪問したのは、それが正しい行いだからであり、首相に真珠湾に来て欲しかったからではありません《

 ――広島訪問が検討され始めた2月、ホワイトハウス内で「我々は日本に、困難な過去に向き合うことを強いた。今回は我々が過去に向き合う番だ《と聞きました。そうした考えもあったのですか。

「我々は日本にメッセージを送りたいと考えていた《

 「確かに私たちは、日本に困難な歴史を認識する努力をするよう促しました。慰安婦問題を巡る韓国との合意を歓迎しています。歴史的な問題はどれも難しく、それぞれ異なる。ただ、歴史を率直に見つめ、同時に歴史から過度に制約を受けずにいるとき、国々は和解を進め、協力し合えるようになることは共通しています《

     ■     ■

 ――慰安婦問題で日韓が歴史的合意に達するよう、大統領は安倊首相に直接働きかけたのですか?

 「彼は確かに働きかけていました。我々の同盟国同士がうまくやっていくことはアジア、米国、そして我々の同盟国にとって、良いことだからです《

 ――安倊首相の戦後70年談話の際も、大統領は談話をソフトにするよう働きかけたのでしょうか。

 「その際にどの程度関与したかは覚えていません。ただ、一般論として、私たちはアジアにおいて歴史問題がどれぐらい敏感なことなのかを認識しています。そして、歴史問題が緊張を高めたり、協力の邪魔をするようなことがないよう促してきました《

 ――オバマ政権は、広島、真珠湾、慰安婦問題を含め、歴史的問題での和解についての外交戦略を打ち出そうとしてきたのですか。

 「私たちはこのような問題に対処することは良いことだと考えています。なぜなら、こうした問題が無視されると、それ自体が緊張の原因になるからです。日本についてというより、どの国についても言えることなのですが、歴史に焦点を当てると、ナショナリズムの意識が出てきて、他国との協力を難しくします。この8年が示すのは、こうした問題での進展による恩恵があるということです。韓国と日本の慰安婦問題での合意は、北朝鮮の核の脅威など他の課題での協力を容易にします《

 ――大統領は広島訪問を8年かけて準備してきたように見えます。そう考えて良いのですか?

 「ええ。大統領はずっと関心を持ち、正しい時機を待っていた。それがG7の際に訪れたのです《

 ――広島訪問後、大統領はどんな印象を口にしていましたか。

 「彼が大統領として経験した最もパワフルな経験の一つだ、と語っていました。そして被爆者と言葉を交わしたことが、何よりも一番パワフルな経験だったと語っていました。米国大統領の訪問を被爆者たちがどれほど感謝しているのかを感じ取り、心を打たれていました。大統領は被爆者の家族からの手紙を今でも受け取り続け、個人的に読み続けています《

     ■     ■

 ――オバマ政権は「リバランス《を掲げ、アジアに政策の重点を移しました。成果と成し遂げられなかったことは何でしょうか。

 「米日同盟の強化に私たちは力を尽くした。韓国も同様です。ミサイル防衛などを向上させ、北朝鮮の脅威に対処。オーストラリアについては海兵隊の巡回を増やした。我々はその他のパートナーとの関係を築いた。劇的だったのはミャンマーです。我々は今、全ての経済制裁を解いています《

 「中国とは一定の緊張関係がありますが、気候変動対策で突破口を開いたのは米中の協力でした《

 「南シナ海の緊張は、いろいろな面で上可避でした。我々がしようとしたのは、航行の自由作戦や国際的原則の擁護、紛争解決に向けた基本原則を提示することを通じて、米国の立場の基礎を確立することでした《

 「最も失望したのは、環太平洋経済連携協定(TPP)を完成できなかったことです。TPPは、米国の経済的利益と地域の安定の両面で非常に良い合意です。これが米議会のために完成できないのは率直に言って、中国を助けるだけです《

 ――ただ、南シナ海については、米国は当初、中国の動きに受け身で、対応が遅れたように感じられました。後悔はないですか?

 「私たちがどう違う形で対処できたかは分からないと思います。我々がこの問題を提起したのは2011年のことで、それ以来、目立つ論点でした。中国が経済を拡大させ、習近平(シーチンピン)国家主席がより主張するリーダーとなるなか、緊張が起こりました。問題は『それらをどうマネージ(管理)するか』。私たちは、東南アジア諸国連合(ASEAN)と中国との間の対話や、紛争の平和的解決を推進しました《

     ■     ■

 ――あなたはオバマ政権の外交政策の導師(グル)と呼ばれます。キューバとの国交回復では秘密特使を務め、イランとの核合意を主導し、東アジア政策を書いたのもあなたでした。

 「私たちが政権に就いたとき米国は二つの戦争をしており、我々の外交政策は支配されていた。私たちはテロリストを追い続けるだけでなく、問題解決や米国のリーダーシップを世界に示すうえで、外交の力を再活性化させたいと考えていました《

 「私たちはこれまでの米国の外交政策であまり関心が示されてこなかった課題に焦点を当てたいと思っていました。気候変動や核上拡散、ある一定の地域での開発政策などでした。それが、パリ協定、イランとの核合意、新START(ロシアと合意した新戦略兵器削減条約)につながりました《

 「大統領は、米国が過去と向き合い、かつての敵との間の問題解決に着手できることを示したいと考えていました。だからこそ、ミャンマーに歩み寄り、民主的な変革をうまく支援した。キューバに手を差し伸べたことは、キューバとの関係を変革しただけでなく、南米での我々の立場をずっと良いものへと変えました。イランへの歩み寄りは、核合意を達成するために必要でした《

 「すべてに共通するのは、世界は変化しているということです。私たちは、1990年や2002年と同じ態度をとり続けることはできません。より主張を強める国は増えている。世界のより多くの地域が重要になってきています。だからこそ、大統領は他国に手を差し伸べ、米国民ばかりでなく外国の国民と課題について対話してきたのです《

 ――オバマ政権は軍事力よりも外交重視、というメッセージを発してきたように見えます。歴史的な視点で見るとどうでしょうか。

 「私たちは良かったと感じています。米大統領選の結果は、明らかに、私たちが選び得たものとは異なるものでした。しかし、私たちが成し遂げたものの多くは今後も残っていくと思います。なぜならそれらは国の合意や、米国の行動のなかに埋め込まれているからです《

 「オバマ大統領は世界中から多くの関心を集めた一人のリーダーでした。私は、彼のスピーチづくりを助け、一緒に働いてきましたが、例えば、広島訪問は、政策の取り組みではなかった。それは、お金の価値や軍事力ではかれるようなものではなく、人々の人生にインパクトを与えるものでした。ですから望むらくは、必ずしもその価値がはかれるものではなくても、大統領が人々にとって意味のある形でそれぞれの人につながることができ、それが人々に前向きなインパクトを与えることにつながって欲しいと願っています《

 (聞き手 機動特派員・尾形聡彦、佐藤武嗣)=インタビューは電話で行った。

     *

 Ben Rhodes 77年生まれ。米同時多発テロの報告書づくりに携わったあと、2008年の大統領選でオバマ陣営に加わった。スピーチライターも務め、大統領と1日2~3時間は過ごすといわれる。広島演説も大統領と二人三脚で作り上げた。