ジャーナリズムの正念場

   赤川次郎


    2015年09月27日(金)東京新聞


 安倊首相が「日本を戦争から守る《ためと称して強引に成立させた安保法。その実態を至って分かりやすく説明してくれているのが、米ヘリテージ財団上級研究員ブルース・クリングナー氏のコメント(9月20日6面 付記)である。

 今までは国連PKOで自衛隊の参加は他国による護衛が必要でかえって迷惑だったが、法成立で少しは役に立つようになった。しかしこれはまだ「哀れなほど小さな変化《にすぎないと語る。

 他の国に向かって「哀れ《とは驚く表現だが、この「上から目線《に徹した元CIAの発言は安保法の本当の目的が、後方支援だけでなく、現実の戦闘への参加にあることを明示している(付記)。

 しかも、日本の軍国主義復活を危惧する人々を、祖父がアルコール依存症だったからといって酒を飲まないようなものだと語っているのだ。日本人だけで三百数十万、他のアジア諸国を含めれば膨大な死者を出した戦争への反省として平和憲法を選び取った国民に対し、「アルコール依存症《とは・・・。

 安保法を成立させた「愛国者《の方々は、この言葉に腹が立たないのだろうか。

 このクリングナー氏、CIAの間違った情報によってイラクに派遣された多くの米兵の死にも全く責任は感じていないようである。

 クリングナー氏のコメントとは対極にあるのが、アフガン支援のペシャワール会代表中村哲氏の談話である(9月19日夕刊7面)。アフガニス タンで紛争の真っただ中、医療活動だけでなく、井戸を掘り、用水路を造り「農民を土地に定着させる《ことこそ平和につながるとして、三十年にわたり活動して来た。

 紛争の中、診療所が襲撃されたとき、「死んでも撃ち返すな《と言った。報復の連鎖を断つこと、「裏切られても裏切り返さない誠実さこそ《が「武力以上に強固な安全を提供してくれ《ると言う。

 「平和とは理念ではなく、現実の力なのだ《

 これを真の勇気というのである。中村氏は広大な砂漠を作物の実る緑の大地に変えた。安保法がもたらすのは、上信と荒廃だけである。

 法成立直後の五連休。観光地は人であふれた。休暇を取り、旅を家族で楽しむのは大いに結構。ただ帰り道、ふと足を止めて考えてみてほしい。こうして家族で楽しめるのは、平和なればこそである。 米国の戦争に自衛隊が参加するようになれば、いつこの平和が失われるか知れない。この前の旅で一緒だった家族が、次は一人欠けているかもしれないのだ。 その想像力が、今必要なのである。これからが特にジャーナリズムの正念場だ。安保法のその後を見続けよう。戦争に行くことを拒否して立ち上がった若者たちの思いを裏切ってはならない。 (作家)





付記:

哀れなほど小さな変化

ヘリテージ財団上級研究員 ブルース・クリングナー氏

米中央時報局(CIA)で20年、北東アジア情勢を分析。朝鮮担当も。 55歳。

 集団的自衛権の行使容認は、米国が長年、日本に要求してきたことだ。だが、日本側はいろいろな理由を挙げて「難しい《と譲らなかった。だから安倊首相が容認に動いた時は、良い意味でとても驚いた。
 米国は日本防衛のためにわが子である米兵が血を流すことを誓った。一方の日本は互恵的な責任を負わず、日本防衛に当たる米兵を守る能力も制限してきた。

 国連平和維持活動(PKO)でも、日本の参加は他国にとってはむしろ負担になった。集団的自衛権の行使が認められないことや、厳格な交戦規定のために、自衛隊は他国部隊に守ってもらわねばならなかったからだ。自衛隊は有能なのに、その能力に見合った仕事をできなかった。

 だが、これからは自国防衛だけでなく、地域と世界の利益のため、より有用な貢献者になれる。燃料に加え弾薬輸送という後方支援ができるようになる。中東の石油に依存度が大きい日本は、海上父通の安全確保に率先して取り組む時期にもきている。能力に応じた貢献を期待している。
 ただ、安保法制は日本からすれば安保政策の歴史的転換であっても、世界的に見れば、哀れなほど小さな変化にすぎない。

 日本が集団的自衛権を行使できるのは敵対行為に対応する場合に限られ、PKOでも応じるのは後方支援ぐらいだろう。日本政府は国益や世論の動向によって、貢献の幅を広げるのを保留することもできる。

 軍国主義復活を危惧する人も日本にはいるか、戦後の七十年で日本社会は変わった。そうした声は、アルコール依存症患者の孫が 「祖父は依存症だったので、私に酒を飲ませないでほしい。私も飲んだら何をするか分からない《と言っているように聞こえる。

 (聞き手=ワシントン・青木睦、写真も)