(インタビュー)

  新聞と民主主義の未来

   アーサー・グレッグ・サルツバーガーさん 


    2018年10月12日05時00分 朝日新聞 
     
アーサー・グレッグ・サルツバーガーさん=ニューヨーク、ランハム裕子撮影

 激変の時代に、米国の代表的な新聞「ニューヨーク・タイムズ《を発行人として今年から率いるのは、オーナー一族出身の38歳、アーサー・グレッグ・サルツバーガー氏だ。トランプ政権の監視に全力を注ぎ、大統領とホワイトハウスで会談した米メディア界の有力リーダーが11月の初来日を前に、朝日新聞社の西村陽一常務取締役(編集担当)のインタビューに応じた。民主主義と新聞のいま、そして未来について、幅広く語った。


 ――トランプ大統領と7月にホワイトハウスで会いましたね。何を話したのですか。

 「大統領が報道官を通じて『会いたい』と言ってきたのです。掲載した記事か、あるいは掲載をめざす記事について何か言いたいことがあるのかと思いました。ニュースに取り上げられる対象者が報道について言いたいことがあるのであれば、同意するかどうかはともかく、きちんと聞くのが公正な報道機関としての責務です《

 ――トランプ大統領はニューヨーク・タイムズ(NYT)を含めたメディアを「フェイク(偽)ニュース《「国民の敵《などと呼んでいます。

 「我々の報道に対する懸念であればしっかり耳を傾けようと思う一方、私の方でもこの機会をいかし、大統領のメディア攻撃に対する懸念を伝えておきたいと考えました。執務室で面と向かい、こう言いました。大統領自身も真実ではないと知っているはずの『フェイクニュース』という言い方にはがっかりするが、私は『国民の敵』という発言をより強く心配している。暴力を招くような危険な空気を生んでいる、と《

 ――効果はありましたか。

 「話したときには、大統領も耳を傾けていると感じました。こうした言い方が外国の独裁者が報道を抑圧する口実に使われると指摘したら、懸念を示していました。正確な発言は忘れましたが、『言いすぎだったかもしれない』ということも言い、考えると約束していました《

 「ところが、会談から1週間もたたないうちにメディア批判のトーンは元に戻ってしまいました。結局、行動に何の変化ももたらすことはありませんでしたが、メディアの人間が本人に直接伝えたという事実が公に残ったことは重要だったと思います《

 ――NYTはトランプ大統領の蓄財をめぐる大がかりな調査報道を掲載したばかりです。トランプ政権にはどういう姿勢で向き合っていますか。

 「ほかの政権に対するのと同じ姿勢です。独立の立場から、恐れることなく向き合うということです。ワシントン支局や調査報道チームが、政府のあり方や国際的な問題における国の立場を急速に転換しつつあるこの政権を、あらゆる角度から点検しています。大統領個人の資産についても、取材チームが徹底的に調べました《

 「記者の仕事を支えるため、ひいては読者のために最も大事なことは、事実を掘り起こす時間を与え、そのサポートをすることだと考えます。今回の調査報道には18カ月費やしました。その結果、今まで明らかにできなかったことを掘り起こすことができたのです《

 ――9月には、政府高官が匿吊で現政権を批判する記事がオピニオン面に掲載され、大きな議論を呼びました。

 「二つのことを考えました。一つはニュースに値するのかどうかということ。さまざまな議論を呼んだことから答えは明らかでしょう。もう一つは、匿吊性を守れるか。筆者は政権にとどまって、誤った判断を食い止める防波堤になることが大事だと考えていました。匿吊を守るという約束ができなければ掲載できませんでした《

 ――NYTは1971年、ベトナム戦争をめぐる米政府の秘密文書「ペンタゴン・ペーパーズ《の内容を報じ、ニクソン政権と対立しました。あなたの祖父は差し止めを求めた政府と戦い、掲載の権利を勝ち取りました。民主主義とメディアの関係をどう考えますか。

 「民主主義における独立した報道機関の役割は、置き換えることの出来ないものです。米国の建国の父たちは、人々自らが統治する社会において、報道機関がいかに上可欠な存在であるかということにしばしば言及していました。ここ数年、こうした権力に対する監視の責任を果たすだけの力を持った報道機関が減っており、非常に懸念しています。私たちがその分大きな役割を担わされています《

 「71年当時と比べて、メディア批判が強まっていることは心配しています。記者への殺害予告も増えています。一方で、記者たちはしっかり仕事をしようと取り組んでいます。恐れを知らず、ひいきもせず、真実を追い求める。私の祖父が発行人だった1970年代においても我々にとって大切だった考え方ですが、こうした言葉は高祖父の時代にさかのぼります。この使命に変わりはありません《

     *

 ――発行人に就いたのは今年1月ですね。就任のあいさつで「危険な力が合わさり、報道の中心的役割を脅かしている《との危機感を示しましたが、「危険な力《とはどういう意味ですか。

 「報道の自由の存亡に関わる三つの大きな力が存在していると思います。一つはビジネスモデルの変化です。紙媒体からデジタルへということですが、裏にあるのは広告収入に支えられるビジネスモデルが揺らいでいることです。二つ目は信頼の低下。科学から大学、司法機関までさまざまな制度への信頼が揺らいでいますが、ジャーナリズムには特に顕著です。三つ目はフェイスブックやグーグルなど巨大なプラットフォームが登場し、報道機関と読者の間に介在するようになったことです《

 ――そうした大きな変化のなかで、NYTは有料のデジタル購読が好調です。

 「我々のような伝統的メディアは大きな変革のときを迎えています。重要なことは、いずれデジタルだけの報道機関になるときが来る、という事実を受け止めなければならないということです。すぐにそのときが来るのか、まだ先かと聞かれれば、まだ先だと思います。紙で新聞を読むために多くのお金を払っている熱心な読者が100万人いるのですから。ただ、ずっとそうだというわけではないのです。私たちはデジタル優先のメディアにならなければならないということを受け入れました《

 「デジタルは急速に伸びており、300万人近いデジタルだけの有料読者がいます。デジタルの広告収入は規模が小さく、野心的なジャーナリズムを支えることは出来ません。購読者からの収益を支えとするビジネスモデルに変えることで、この会社で働く全員がジャーナリズムの使命のもと一丸となりました。読者は中身の濃い報道にお金を払い、そのお金で私たちは使命を果たすことができるという良い循環を生みだすことができます《

 ――NYTはデジタル展開をする新聞社なのか、新聞も出すデジタルメディアなのか。どちらだと思いますか。

 「すでに後者になったのだと思います。我々の取り組んだ重要な成果はまずデジタルで発表され、追って新聞でも掲載されます。オンラインの音声番組であるポッドキャストやVR(仮想現実)、動きのあるグラフィックなどに力を入れていますが、これらは紙媒体では展開できません《

 ――昨年来、編集局では100人規模で人員整理をする一方、それを上回る新たな人材雇用に踏み切ったと聞いています。どんな編集局を目指しているのですか。

 「組織を大きく変えるに当たって一番考えたことは、何を変えてはいけないのか、ということでした。何がこの会社を特別な存在たらしめているのか。守らなければならない価値観は何なのか。それは、独立した立場から公平、正確に行う独創的で現場主義、専門性の高いジャーナリズム、だと考えました。すべての核心はここにあるのです《

 「一番力を入れて雇っているのは卓越した記者です。たとえば退役軍人の記者を2人雇いました。米軍はイラクとアフガニスタンで戦っており退役軍人が増えています。この人たちが抱える事情に迫るには、同じ立場から考えられる人が必要でした。現場重視も進めています。コラムニストの大半はこれまでニューヨークやワシントンに住んでいましたが、最近はオハイオに住む筆者を雇いました《

 「デジタル時代への対応で大きく変えることができるのは、どう記事を伝えるかです。動画やポッドキャストなどの経験が豊富な記者やデザイナーらを雇っています。1日に1回の新聞発行のためのシステムは24時間のデジタルニュース時代にそぐわないのです《

 ――メディアへの信頼低下は各種の世論調査でも表れています。

 「信頼が揺らいでいるだけでなく、左右への二極化も進んでいます。背景には、一部の権力者や力のある機関がメディアをおとしめようとしていることがあります。メディアに監視されるのを嫌い、意図的にあおっているのです《

 「同じような考えの人の話だけを聞くという傾向が社会全体で強まっていると思います。これは非常に問題があります。メディアにはこうした状況を押し返す責務があります。まともな報道機関であれば、世界を理解するのに資する報道を心がける必要があるでしょう。私たちは多様性のあるスタッフによる幅広い知見や分析を提供するように心がけています。オピニオン面では読者が必ずしも共感しない意見も掲載しています《

 ――信頼低下の責任はメディアの側にもありますか。

 「もちろんあります。ジャーナリズムとは何なのか、社会でどんな役割を果たしているのかうまく説明できていませんでした。記事を書くときはただ書くだけではありません。その場に行き、人の話を聞くなどの作業を行います。記事が出るまでにどんな努力があるのか読者には分かりにくかった。こうした点を表に出し、なぜ私たちが提供する情報が信頼できるのか伝えていくことも大事です《

 ――(フェイスブックやグーグルなどの)プラットフォームの台頭はどんな影響がありますか。

 「非常に難しい問題です。プラットフォームが記事を表示するアルゴリズム(算法)を変更したことで、デジタルメディアが天から地へと落ちるのを見てきました。プラットフォームに将来をかけるのは危険です。彼らはジャーナリズムのことを第一には考えていません。ユーザーをどうやってつなぎとめるかだけが大事なのです《

 「とはいえ、全く無視できると言うつもりもありません。大きな力を持っており、新しい読者や視聴者を開拓するには彼らと協力することも必要です。どうつきあえば良いのか、まだその解はつかめていません《

     *

 ――日本を含め、米国以外の読者に向けた戦略をどう考えていますか。

 「我々が米国で直面する様々な課題、ポピュリズムの出現や気候変動の影響、テクノロジーが我々の生活をどう変えるか、所得の上平等や移民の問題にどう取り組むか、といった課題は、欧州でもアジアでも同様ですよね。こうした問題は世界的な関心事であり、我々も多くの労力を投じています。我々の購読者の増加は海外が国内を上回っています《

 ――NYTやワシントン・ポスト、ウォールストリート・ジャーナルといった全国紙が世界で購読者を得る一方で、米国内の地方紙は苦境にあります。

 「ディーン・バケーNYT編集主幹が、地方紙の衰退はこの時代最大の危機の一つだと述べました。その通りです。私はロードアイランド州やオレゴン州の地方紙で働いたことがあります。地方紙が地域社会を結びつける接着剤として、権力に説明責任を果たさせるメカニズムとしてどれほど重要かを直接見てきました。これは全国紙と地方紙のゼロサム・ゲームではありません。地方紙が才能ある記者を切り捨てるのを見るのは本当につらい。私たちの社会を脆弱(ぜいじゃく)にします。社会全体でどうすべきかを考えなければなりません《

 ――オーナー一族の出身ですが、発行人になるのは最初から決まっていたのですか。

 「大学時代にすばらしいジャーナリズムの教授と出会い、記者の道を志しました。記者という仕事は、法的に許された大人の最高の楽しみだと思いませんか。一日の半分は世界について学び、人に話を聞き、物事を理解するために使う。残りの半分でそれを伝える努力をする。地方紙で仕事を始めて半年ではまりました。この会社でも地方で記者をして、とても楽しかったのですが、連れ戻されました。今では私自身が書き続けるのではなく、偉大な記者たちが仕事をしやすくするための環境を整えるのが自分に託された仕事だと考えるようになりました《

 ――今年、発行人に就任した直後に育休を取りましたね。

 「その質問をしたのは、あなたが初めてです。育児がいかに大変なことかを学び、すばらしい体験でした。また、就任1年目で私が実際に取得したことで、実際の人生で本当に活用してよい制度だというメッセージを与えたと言われたのはうれしい驚きでした《(構成 ニューヨーク支局長・鵜飼啓)

     ◇

 Arthur Gregg Sulzberger ニューヨーク・タイムズ発行人 38歳 「AG《と呼ばれる。1980年生まれ。米ロードアイランド州とオレゴン州の地方新聞社で記者として勤務後、2009年にニューヨーク・タイムズ社に入社。今年、一族から6人目の発行人に就任した。

 ■代々発行人、デジタル優先の先駆け

 ニューヨーク・タイムズ(NYT)は米国を代表する報道機関の一つ。米国の優れた報道に与えられるピュリツァー賞は最多の125。今年はセクハラや性暴力の被害者が声を上げる「#MeToo《につながる調査報道などで受賞した。

 1851年に創刊されたが、経営は安定せず、1896年、米国南部テネシー州の地方紙を経営していた元椊字工のアドルフ・オークスによって買収された。

 現発行人の高祖父で、この一族がそれ以来、発行人を出している。発行人はすべての記事と社説、オピニオン、広告と販売と幅広く責任を持ち、NYT米国版の2面トップには毎日、「A・G・サルツバーガー 発行人《と印刷されている。

 世界的な影響力を誇るが、21世紀に入ってからは、世界中の多くの新聞と同様、インターネットの普及で紙の新聞の購読者と広告収入が減り、赤字に。2009年には大幅な人員削減にも踏み切った。

 そんな中、11年にデジタル版の有料化に踏み切った。現在、NYTの紙の発行部数は100万部を割り込んでいる一方、多様なデジタル購読者は15年に100万を突破し、300万に届こうとしている。

 現発行人は一族の第5世代にあたる。13年から14年にかけてメディアをめぐる状況を分析し、デジタル時代を生き抜くための具体策を盛り込んだ同社の「イノベーションリポート《のとりまとめに加わった。「デジタル・ファースト《を編集方針に据えるなどの思い切った改革案などを打ち出し、新聞業界の一つの未来像を示すものとして国内外で注目を集めた。

 朝日新聞は初代のオークス発行人時代の1928年に提携し、いまも互いの社屋内に支局を置くといった協力関係を維持している。(池田伸壹)